貧困

シンガポールのグループが、奨学金を出してくれて、8名ほどの子どもが、今年、公立の小学校に入学した。入学に必要な出生証明書の取得も、パアララン・パンタオがおこなう。3名ほどは、親が結婚していないなどの事情で、出生証明書が取得できなかったが、小学校の校長の配慮で、入学が許可された。
シンガポールのグループのメンバーで、メイというシスターが、今年から学校のコーディネーターをしている。以前は外部機関とのやりとりはすべてレティ先生がしていたが、健康上の理由で、それをやってくれるスタッフが必要になっている。メイとは以前に会ったことがあって、顔見知り。メイが来てくれるのは、とても心強い。

30日の朝、ニカシオという10歳の男の子が学校にやってきた。学校の本を借りて読んでいる。本の好きな子で、4年間パアララン・パンタオに通って、今年、奨学金で、公立小学校に入学した。
ニカシオの家は、去年父が亡くなり、1週間前に母が死んで、姉ふたり(27歳と16歳)と、ニカシオだけが残された。姉ふたりがスカベンジャー(ゴミ拾い)をしてようやく暮らしている。
もう1週間もたつのに、亡くなった母親の葬儀が、お金がなくて出せない。お金がないので、親戚は、ニカシオたちが住んでいる家を売ろうかと言い出している。それで困って相談に来たようなのだった。

メイに連れられて、ニカシオの家に行く。ゴミ山の麓の集落は、路地にも空き地にもゴミが散乱している。そのゴミを踏んでゆく。豚小屋とも納屋ともつかないような掘立小屋は、人間の家族が暮らす家である。入口の奥の小さな部屋に、ニカシオのお母さんは白い棺に入れられていて、大きな蜀台がふたつ、飾られていて、それが祭壇だった。
亡くなってから1週間経つ人の死に顔を、はじめて見た。まだ40代か50歳前後だろうに、お婆さんのような、老いて干からびた表情の、痩せた遺体だった。
姉の16歳のジョアンニーが涙ぐんでいた。ジョアンニーは、以前パアラランの生徒だった。いまはゴミ拾いをしている。抱きしめたら、私も涙ぐんでしまいそうになった。
ジョアンニーとニカシオと一緒に、奨学生のひとりのエルヴィルの父を訪ねて、それから、以前の校舎があったあたりを訪れて、途中で、親しい人たちにも再会して、学校に戻った。

翌朝、上の姉のジョウェリン(27歳)がやってきて、メイと一緒に市庁舎に出かけていった。葬儀代の寄付を得るためという。その翌日は政治家のオフィスに。
実は葬儀代は、ニカシオの奨学金を出しているシンガポールのグループが準備して渡したのだが、親戚がやってきたり、その食事代や交通費や、あれこれの出費で足りなくなった。足りない分を近隣の人たちの寄付が集まるのを待っているうちに1週間が過ぎた。

以前には、レティが市庁舎にかけあって、葬儀代を無料にしてもらったこともあるという。それでも、棺や参列者を運ぶジープニー代や食事代など、いくらかのお金はかかるのだ。

メイが寄付をもらってきたので、数日中にも葬儀は出せるだろう、という。

親が死んで、子どもだけが残された。一番上の姉のジョウェリンは、もう大人だが、すこし病気らしい。たぶん、精神的な。
学校にやってきたジョウェリンの、不安なおびえた表情に胸がつまった。弟妹たちのほうが、よほどしっかりした表情をしている。

貧困、は、金がないというだけのことではない。何かもっと、内面で、壊れたり、欠落したりしてしまうものがある。きっと、お金よりももっと必要なのは、世の中や現実と対峙していくために、生き方を知るために、丁寧に寄り添ってくれる存在だ。

ジョウェリンの表情は、他人ごととも思えなかった。世の中というものがこわくてたまらず、どうやって生きていけばいいか、仕事を探せばいいか、途方にくれたまま、ぎりぎりその日暮らしを続けていたころの、私自身の表情に思えた。
あのころ、役所や病院に行くのは、どれだけお金かかるんだろうと思ったら、それだけで怖くて足を運べなかった。
そのころに描いた自画像の表情を、ジョウェリンを見たとき、思い出した。

母親は肺結核だった。子どもたちに感染していないかどうか、友人の医師にボランティアで検査をたのみたいと思っている、とレティ先生の息子のジェイは言っていた。


奨学生のひとり、エルヴィル(11歳)の親は、拾ったマットレスのリサイクルの仕事をしている。
ゴミの山で、ときどき枕の行商をしている人をみかける。すべての色が灰色に、ゴミや廃材の色にのまれてしまいそうな麓の集落の路地を、赤や青の極彩色の、プーさんやポケモンのキャラクター模様の、あざやかな枕が、背に背負われて歩いていくのは、なんだかシュールな光景なんだが、枕の行商というのはなんなんだろうと、不思議ではあった。
何年もゴミの山周辺をうろうろしながら気付かなかったのだが、この枕、ゴミのなかから拾ったマットレスを、洗って乾かして、再利用してつくっています。
拾われたマットレスの汚れ具合を見てしまっては、なかなか買う勇気は出てこない、と思う。しかしまあ、とってもかわいくて、ふかふかの、赤や青の、プーさんやポケモンの、とっても素敵な枕です。