「あの日のまた、天気のええことが」
学生のころに、韓国人被爆者の体験を聴き書きした一時期があった。何かの拍子に、話を聞かせてくれたお母さんたちの声がふっと耳に戻ってくる。
「あんたらに話してもわからん。話しとうない」と何度か追い返され、懲りずにまた訪ねて、を繰り返すうちに、ある日ふいに、堰を切ったように話し出してくれるのだった。
被爆体験をどれだけ聞かせてもらったかわからない街で、再び暮らしはじめると、話を聞かせてくださった人たちの死を、こんどは聞く。
その人が亡くなっているのに、その人の声だけを記憶している、というのは奇妙な感じだ。文字にすることはできても、その声を今も聞いているのは私だけ、とりあえず今日、ああ八月六日だと思った朝、
「あの日のまた、天気のええことが」
という、とうに死者になった人の声が、耳に響いた。
六十三年目の「原爆の日」
晴れわたって、今日も暑い一日になりそうだ。
学生のころに、韓国人被爆者の体験を聴き書きした一時期があった。何かの拍子に、話を聞かせてくれたお母さんたちの声がふっと耳に戻ってくる。
「あんたらに話してもわからん。話しとうない」と何度か追い返され、懲りずにまた訪ねて、を繰り返すうちに、ある日ふいに、堰を切ったように話し出してくれるのだった。
被爆体験をどれだけ聞かせてもらったかわからない街で、再び暮らしはじめると、話を聞かせてくださった人たちの死を、こんどは聞く。
その人が亡くなっているのに、その人の声だけを記憶している、というのは奇妙な感じだ。文字にすることはできても、その声を今も聞いているのは私だけ、とりあえず今日、ああ八月六日だと思った朝、
「あの日のまた、天気のええことが」
という、とうに死者になった人の声が、耳に響いた。
六十三年目の「原爆の日」
晴れわたって、今日も暑い一日になりそうだ。