教室

去年移転したパヤタス校も、増築工事が完成したエラプ校も、教室はとってもきれいで、気持ちがいい。椅子も机もプラスチックの新しいものになっていて、昔、親たちの手作りの粗末な木の長椅子やがたがたゆれる机を使っていたころが、なんだか本当に遠いことのよう。

パヤタス校の授業は7時半からだが、最初の生徒は6時半くらいにやってきて、テラスで待っている。7時前には、マリベルとジェーンのふたりの先生もやってきて、机や椅子を並べたり、授業の準備をする。7時過ぎると、だんだん騒がしくなり、授業がはじまっても、やっぱりずっと騒がしい。
午前中は5歳~6歳の生徒たち。アルファベットの読み書きと数字。
教科書などはないので、先生が黒板に絵と文字を書く。家が1軒、葉っぱが2枚、子どもが3人、ボールが4個、というふうに、数を数えるためだけにでも、こまごました絵をていねいに描いていくのだ。
子どもたちがそれを見て、ノートに絵のひとつずつ、文字や数のひとつずつ、写していく。
勉強する、という以前に、ここの子どもたちにとって、鉛筆をもったり絵をかいたり、という体験は、ここに来なければできないことで、毎日、葉っぱをかいたり、ボールをかいたりも、大事な学習過程に違いない。

とちゅうで、おやつの時間。それから、歯磨きをする。歯ブラシは名前を書いて学校においてある。子どもたちを順番に並ばせて歯磨きさせるのも、一苦労ではある。それからもうすこし授業があって、それから給食。午前中の子どもたちは、給食を食べて帰る。
午後のクラスは、6歳~12歳。やってくるとまず給食を食べて、それから授業がはじまる。
マリベルは、ふつうに話すときは、ささやくような小さな声で話すのに、この騒がしい子どもたちを相手に、授業のときは、別人のように大きな声で授業をしているのが、なんだかすごい。
マリベルは、忍耐強くて一生懸命で、とても純粋。

ジェーンは、はじめてあった11年前は、高校を卒業したばかりだった。パアララン・パンタオでデイケアの小さい生徒たちを教えていたが、2年ほどでやめて結婚した。5年くらい前からまた、働きはじめたのだが、以前はとってもシャイで、子どもたちにふりまわされて困り顔の少女だったのに、いまや、レティ先生の声かしらと思うような声で、授業をしていて、なんだか信じられない。
「はじめてあったときは、とってもシャイな女の子だったのに。でもいまは……」と言ったら、「もちろん、ちがう」とジェーンは笑った。いまは9歳の女の子と7歳の男の子のお母さん。

夕方、みんなが帰ったあと、数人の当番の子どもたちとふたりの先生が、教室の掃除をする。椅子と机を片付けて、ゴミを掃いて、子どもたちが帰ったあとも、ジェーンとマリベルは掃除を続けている。目が合うと、笑ってくれる。手伝おうかと言うと、手伝わなくても大丈夫、と、かえって椅子をすすめてくれる。
ふたりが、それぞれに、床にモップをかけ、窓のガラスを拭き、机と椅子もひとつずつ雑巾で拭いていくのを見ていたら、なんだか胸にこみあげてきた。
自分の生き方が、とっても雑に思われて、こんなふうに丁寧に生きたい、こんなふうに丁寧に生きたい、と、泣きそうな気持ちになった。

こんなに毎日一生懸命仕事して、でも学校が出せる給料は、最低賃金のようやく半額ほどなのだ。給料、今年は据え置き。来年、あげることができるといいんだけれど。

夕方6時頃、先生たちひきあげる。ジェーンの夫とふたりの子どもたちが迎えに来ていて、一緒に道を帰っていくうしろ姿が、なんだかとってもやさしかった。


掃除するマリベルとジェーンの姿を見ながら、日本に帰ったら、まず掃除をしよう、マリベルやジェーンみたいに丁寧に掃除をしてみよう、と思って帰ったんだけど、帰るとたちまち夏バテ。食べれず眠れず動けず。暑いのもだめなんだが、エアコンも苦手で、なんか、もう駄目です。