2011年8月 パアララン・パンタオ 2

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☆学校 
☆パヤタス校

8月5日。朝、学校の裏の道を走るゴミのトラックの音で目が覚める。7時半には、教室にやってくる子どもたちのにぎやかな声。起きようか。Img_1699

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パヤタス校は、今年は109人の生徒が登録した。
午前中(7時半~11時)はマイリン先生のクラスが、5歳~6歳の23人、ジェイン先生のクラスが、5歳~6歳の29人。
午後(1時~4時半)はマイリン先生のクラスが、5歳~6歳の27人、ジェイン先生のクラスが7歳~13歳の30人。
子どもたちのにぎやかな声を伝えられなくて残念。

☆エラプ校


エラプ校は、責任者のベイビー先生と5人の先生たち。
子どもたちの人数を先生たちに聞くと、ひとり増えたよ、とか、ひとり来なくなったよ、とか、数字がなかなか合わなかったが、いまのところ、
午前中は、リザ先生のクラスが、4歳~6歳の27人。マリリン先生が6歳~8歳の27人。ソリタ先生が5歳の27人。シンディ先生が5歳の25人。メイクル先生が4歳の24人。
午後は、リザ先生のクラスが、4歳~6歳の25人。マリリン先生が6歳~8歳の29人。ソリタ先生が5歳の21人。シンディ先生が5歳の24人。メイクル先生が5歳の23人。
全部で252人が勉強している。Img_1574Img_1565

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こちらは、スイスのボランティア団体のサポートで給食がある。といっても人数が多いので、スパゲティやおかゆ、ヌードルなどの簡単なもの。ベイビー先生が調理していた。買い出しはジュリアンが、仕事が休みの土曜日にボランティアでしてくれる。
1階の手前の教室の床がこわれてあぶないので、教室がひとつ使えなくなっている。現地に足を運ぶべきだと思う。床がこわれたことなど、いちいち報告してくれないし。

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パヤタス校エラブ校あわせて、361名が今年も通ってくるのである。
ここで勉強して、公立の小学校に入学するのが目的。1年で難しければ、もう1年ここで勉強する。出生証明などの手続きは、コーディネーターのメイ先生がサポートしている。

☆ グループホーム

エラプ校近くのテリーさんの家は、このあたりのほとんどの家と同じように一間だけの家だが、ひとり暮らしのテリーさんが親代わりになって、家庭が壊れたり親がいない5人の子どもと一緒に暮らしている。行くと、ソーシャルワーカーのユージンが、3人の子に勉強を教えていた。一日のスケジュールが壁に貼ってある。小さな男の子がにこにこと楽しそうだった。どこかで見たことがあると思ったら、ジュリウスくんだ。以前パヤタス校の生徒だった。Img_1557

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08年に二カシオという10歳の男の子と2人の姉が母を亡くして孤児になった。その姉弟をどうサポートするかということがきっかけで、シンガポールのグループの支援で、グループホームを開くことになった。でも二カシオと一番上の姉はもういない。勉強を続ける気がないといって、出て行った。下の姉のジョアンニだけが残って、ハイスクールに通っている。とてもしっかりした印象の女の子だ。
ほかにはいま、姉と3人の弟の4人きょうだいが、そのホームで暮している。3番目のジムボーイも4番目のジュリウスもパヤタス校の生徒だった。父親はいるが母親はいなくて、ジュリウスは朝ご飯を食べられなくて、パアラランで給食を食べるのが最初の食事だった。(2年前の記事 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1251911693&owner_id=5143348)
そのふたりと兄のヘレニトの3人は、声がよいのが気に入られて、いま教会の聖歌隊にいる。水泳もしているが、ジュリウスはとても上手で、指導者もびっくりしているとか。

親代わりのテリーさんはレティ先生の古い友人で、もう65歳くらい。まだ若いソーシャルワーカーの卵のユージンをよくサポートしている。シンガポールへの報告書は、テリーが喋って、ユージンが書くのらしい。
シンガポールのグループはエラプでここのグループホームの子を含めて6人、パヤタスで4人の子どもに奨学金を出している。

☆ リサイクルバッグ

さて、お買いもの。といっても、パヤタス校からほんの100メートルほどかな。同じ通りに、ごみのなかから拾ってきたジュースパックを再利用して、カバンやポーチやペンケースなどをつくっている店がある。このカバンがかわいくて、雨にぬれても平気で、けっこう重宝する。これをバザーで売って、学校の支援にあてよう、というわけで、買います、たくさん。あれもこれもそれも全部ちょうだいって、言えるのはここでだけだわ。毎年ここでのお買いものは楽しみですが、いろいろ工夫もしているみたいで、新製品、出ています。どこかで見かけたら、買ってやってください。おかあさんたち、ここでミシン踏んで内職して、子どもを学校にやっています。で、私はしっかりディスカウントしてもらっていたりする。店の人、レティ先生の勢いに押された感じかも。ありがとう。

レティ先生、足が悪いので、車なしで出かけるのは無理。エラプに行ったり、街に出たりするのに車を運転してくれたラリーさんは、頼りになる友だち。大工仕事も電気工事もなんでもする。往復の車のなかでは、もっぱら日本の震災と原発事故の話をしていた。ロシアのチェルノブィリのようなんだろう、ってラリーさんが言う。パアラランの友人たちは大丈夫かとレティ先生が言う。私が知る限り、大丈夫。誰彼の消息を聞かれる。十数年前の留学生たちのことも。テルは? マクドは?
万が一、この記事を見ることがあったら、テルとマクドは、連絡ください。アテ・レティがとてもなつかしがっている。とても気にかけています。

☆ 放課後

午後のクラスの子どもたちの声を聞きながら、私は昼寝。ここは時間がゆっくり過ぎる。金曜日の夕方、子どもたちが帰ったあとの教室では、ジェーンとマイリンのふたりの先生が、たっぷり1時間半かけて、教室の掃除をしていた。椅子のひとつひとつまで、洗剤つけて磨くのだ。
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むかし、「フィリピン人は怠けものだからね」って言った、だからいつまでも貧しいんだって言いたげだった、フィリピン在住の日本人のことを、思い出したくないのに思い出すが、撤回してほしいと思う。
ここの先生たちは本当に働きものだ。ジェーンもマイリンも、奨学生のロザリンも。本当によく働く。それでいていつも他人のために片手をあけている感じがあって、さりげなくてやさしい。

訂正してほしい。怠けものっていうのは、フィリピン人じゃなくってさ、私のことを言うんだよ。

日本の震災と原発事故のことはみんな知っている。ジェーン先生が、「テレビでツナミを見て、ああ、アテ・カズミは大丈夫かしらって、心配だったのよ」って言う。たどたどしく発音される、ツナミ、という日本語、フクシマ、という日本語。

それがとても痛ましい響きに聞こえる。それは、たとえばジェーンが、その言葉に、ツナミやフクシマに、傷ついて、心を痛めてくれたということなんだけど、日本語が、こんなに痛ましい言葉であるということに、たじろぐ。

こんなにたよりない、こんなに痛ましい、言葉として聞く、母国語。