なんともいえません

午前中、療育センター。
去年、子どもが療育のクラスに通っていたお母さんたちの懇談会。
ダイちゃんママと双子の女の子のママと、私の3人、と担当の保育士さんふたり。
ダイちゃんは同じ幼稚園。今朝も、ダイちゃんを連れていくときに、りくちゃん見たよ、と言ってくれる。会うと、目をあわせてお話する、ということをしてくれていて、ありがたい。
双子ちゃんたちのママとはとっても久し振り。幼稚園バスにのるのを、いやがって泣いて暴れるらしい。無理しても連れていったほうがいいのか、無理しないほうがいいのか、と幼稚園の先生に訊いたら、なんともいえません、という返事だったわ、と言っていた。

たしかになあ。たいていのことが、なんともいえません、なのだよ。

話していると、楽しい。
トイレで▲できない、とか、できていたのに、またできなくなったとか、偏食がものすごい、とか、友だちと遊べない、とか、集団行動なんてとても無理、とか、家族に理解がないとか、いろいろあるんだけど、「うちもそうよ」みたいな共感が生まれてくるのが、心地よい。
何を話しても、平気。子どもがそうなるのは親の関わり方が、というような、アドバイスだかプレッシャーだかわかんないものがやってきたりしないし、困ったね、大変ねと、同情だかなんだかわかんない反応もないし。障害があるの? でも普通に見えるよ、もうなおってるんでしょう、というような心遣いもないし。
うちの子、へんでしょう。こんなにへんだから。でも、どんなにへんでも、ここではそれが、あたりまえなのだ。
という心地よさ。

プライベートで、ほかの子と遊ぶということがない、と双子ちゃんたち。いつも、ふたり。それはうちもそうだ。遊ばせたほうがいいのか、かえってストレスになるなら、無理に遊ばせなくてもいいのか。
それもまた、なんともいえない。

子ども自身が遊びたがらない、というのもあるなあ。
子どもにだってウマが合う合わないは、ある。たとえば、近所の、半年先に生まれたY君のママは、遊びに来てと誘ってくれるが、Y君は、「この子、赤ちゃんなの? 言いよることわからんし(ちびさん、読んだ本や図鑑の内容をひとりごとのように喋っているわけだけど)、走るのも遅いし、一緒に遊ぶのは無理だよ」というふうだし、ちびさんも、彼に関心がない。

幼稚園は、それでもそれなりに落ち着いた(この落ち着き方でいいのか? という問題はさておいて)ところで、次の関心は、小学校。
ダイちゃんのお兄ちゃんは、特別支援学級に通っているので、ダイちゃんママから、いろいろ話を聞く。学校によっても、教師によっても、取り組み方は違ってくるんだけど、教師の転勤もあるし、情報収集がそもそも大変そうだわ。

ちびさんが通う予定のマンモス小学校で、もしも集団生活が難しければ、転校させようと思っていた、川向うの過疎の小学校が、なんと廃校になってしまって、私はショックなんだが、となると、次の策として、特別支援学級のことは、考えておこう。
「バスや、ぜんたいしゅうかいは、ひとがたくさんいるのが、いやなの」と、ちびさんは担任に言っていたらしい。いまは、自由に抜け出して、遠くから眺めて、その気になると、参加する、というふうだけど。

幼稚園に通い出して、指しゃぶりがはじまった、最近いちだんとはげしくなっているのが、すこし気がかりではある。

あとは周囲へのカミングアウトの問題、など。したほうがいいか、しないほうがいいか。これもやっぱり、なんともいえない。

療育に来なくなったお母さんたちのことが、すこし気にかかる。朗らかにしているだろうか。