昨日の日記
午前中、療育センター。
母親たちの懇談会。2グループ合同で10人ほど。
ひとりのお母さんの取り組みの発表をもとに、自由に懇談。
発達障害、とひとくくりに言っても、ほんとにいろんな子がいるもんだ、と面白かった。

何かしら感覚過敏があったりして、口のまわりに食べ物がつくのが嫌いだったり、水が触れる感触が苦手でお風呂とプールが嫌いだったり、うちみたいに、ひとがたくさんいるとか、さわがしいのが駄目だったり、葉っぱがこわい、というのもあった。緑の葉っぱがこわいので外出が嫌い、でも、落葉すると平気、とか、逆に緑の葉っぱは平気だけど、落ち葉がこわい、葉っぱに似ていてこわいから肉が食べられない、とか。
バスは好きだけど、子どもがたくさん乗っているから、幼稚園バスはきらい、とか。

子どものくせに子どもがきらいなのは、子どもって次に何するか、予測のつかない生き物だからね。はじめてのこと、突然のこと、予測のつかないこと、というのは、こわいのだ。
「おともだちきらい」とちびさんもいう。「うるさいし、けんかするし」それで今朝は、幼稚園に行く時間になると、「おなかいたい」だった。でもまあ、なんとか行った。
「楽しかったの」と帰ってきたから、まあいいや。

ちびさん、超マイペースで幼稚園の活動もエスケープしまくってるが、幼稚園では一生懸命みんなと同じにがんばるけど、ストレスためて帰ってくるので、家でパニックおこしまくり、という子もいた。

偏食は、親のせいじゃない。みんなそうなので、話きいてると面白いわ。そうだよね、だって食べないんだもん。どうしろっていうのよね。

とりあえずわが家の問題は、どうせちびさん食べないし、と思ったら、ただでさえ、食べることに関心のない私が、ますます料理する気をなくすので、食卓がどんどんシンプルになっていくことだな。とばっちりをくって痩せていくパパ(ダイエットには成功した)。
これは私の問題か。

視覚支援が有効、なのは本当。で、一日の流れを理解させたり、次の行動を促したりするのに、ボードに絵を貼ったりする。いろいろ工夫するわけです。でも、そのボードを見ること自体に飽きて、すぐに役に立たなくなる、というのも本当。一進一退の試行錯誤。

ちよっとした工夫でなんとかなることも多い。時計が気になって、ご飯が食べられないなら、時計が見えないところに机を動かす、とか、そんなことでなんとかなることも多い。時計を見るな、といっても無理なので。切り替えができないときに、あと一かいでおわり、と、ほんの20秒余裕をもたせると、パニックが防げるとか。そんな話のやりとり。

ものは考えよう。そもそも、ふつうの子のようにはならないのだし、一般的な発達と比べて、こんなにできないことがある、ではなくて、こんなことができた、と、すこしの進歩を、大きく喜んで、毎日、喜びを拾い集めながら生きていきましょう。

ダイちゃんのママが、幼稚園でりくちゃんが絵をくれたよ、と見せてくれる。最近、ちびさん、ダイちゃんママには、毎朝挨拶ができるんだそうだ。それもこれも、彼女が半年間、毎朝、ちびさんを見て挨拶するということを続けてくれたおかげ。なんかもう、ほんとうれしい。ありがとう。
ちびの落書きひきとろうか、と言ったら、いやいや、これは私がもらったの、ともらってくれた。


庭に出たら金木犀の花のにおいがする。かまきりがいたり、どこかの家の庭にざくろが実っていたり。きれいな秋の一日。

ちびさんやってきて、とうほくじょうえつしんかんせんが、なんとか、とか言っている。内容はひとりごとなのに、ママ、ママ、ママとひっきりなしに呼びかけてくるのが、面倒くさいなあ。返事するまで、同じことしゃべりつづけるもんね。それで同じことを聞きつづけても、とうほくじょうえつしんかんせんが、つまりなんなんだか、さっぱり理解しない私の耳も、ちびさんと似たりよったりなんだわ。ああ、ちびさん、E2けい、はやてごう、ってなんだそれ。