駅前の源氏物語(10月5日広島 その1)

昨日は凄い一日だった。
10月5日。広島歌会と、フィリピン関連のビデオ上映会があるので、早朝、街に降りた。

朝から順番に行こうか。

朝、待ち合わせの時間より30分ほども早く駅についた。駅にはいろんな人がいる。酔っぱらって地べたに寝ているおじさんと、そのおじさんを、そこから排除しようとするおじさんが、汚い広島弁で言い合っていたりする。コップ酒飲みながら、それを見ているおじさんが、「おもしろいよ、なあ、おもしろいでしょう」と私に話しかけてくる。目があったら面倒だ、と思っていたのに、目があってしまったのだった。

それから話が長くなる。「リヒテンシュタインって知ってる? さっきリヒテンシュタインから来たって女の子がいてさあ、ひとりでだよ、これから宮島に行くんだって。それから京都行くんだってよ。京都だよ。いいなあ。京都。源氏物語千年紀だよ。おねえさん、源氏物語読んだ?」
学生のときに、読みかけて挫折しました、というと、
「ふつう、そうだよな。でも現代語訳いろいろあるでしょう。谷崎とか与謝野とか。おれ、いま読んでるの、寂聴だけどさ。」
からはじまって、日本の女流文学の話だ、
たけくらべ書いた、ほら樋口一葉さん、あれは凄いよ、はやく死んじゃったけど、彼女はほんとすごいよ」
一葉日記いいですよね、と私が言ってしまったりするので、また話が長くなる。
「いいよお。若くてさ、女性でさ、すごい気概だよ」
一葉日記のことなんか、どれくらいぶりに思い出したろう。と、なんとなく私も話にひきこまれている。

山口県のひとらしい。年は60。某進学校の演劇部だったらしい。「青春の門」の映画の大竹しのぶを「凄い女優さんだよ。年とるほど凄くなるよ」からはじまって、松田優作の話になる。友人だったんだそうだ。(松田優作も山口出身)
「優作は、凄い俳優だよ。どんどん凄くなってったよ。おれ、ジャズ喫茶やってたのよ。店に優作くるのよ。それでピンク電話からさ、ピンク電話よ、あのピンク電話からさ、東京に電話かけるわけ。電話の向こうで、子どもの泣き声してたよ。あの子らが、俳優になっちゃったもんなあ」
「おふくろがさ、病気で寝てるわけ。おれ面倒見てたんだけどさ、優作きてんだっていっても、ふうんそうかって、そんだけなのよ。それがさ、あとから戸を開けてやってきて、優作に向かって、あたしは、あんたのファンだ、っていうわけよ。すると優作が、ははっ、って頭下げてさ、ありがとうございますっ、ってこうよ。それで、店が終わったあともおれたち朝まで遊ぶわけ。何して遊ぶと思う。連句するのよ、俳句よ、俳句。おれ、詩人だからさ、もともとは歌人だけど、朝まで優作と、ずっと連句して遊ぶわけ。面白かったなあ」

風土が、匂ってくる、ということがある。そうなんだ、山口の人なんだ、と私は納得していた。山口の友人に、話し方や空気感がすごく似ていた。その友人も昔、詩を書いていた。
世代が匂ってくる、というのもある。七十年代、八十年代に、ひとまわり以上離れた兄や兄の友人たちから感じていたものと同じもの。兄たちに甘やかされて育った私は、この匂いに弱い。

それからジャズ喫茶はどうしたのか、とか、いまなんで、ここで、なんていえばいいの、浮浪者か野宿者かルンペンか、なんかわかんないけど、してるのか、とか、まあそんなことは聞かない。私の兄が、こんなふうでも不思議じゃないなあ、と妙な親近感、感じたりした。

時間がきたので、もう行くね、というと、「話ができて楽しかったよ。源氏物語読みなよ。寂聴のでいいからさ」とあとから声が追ってきた。


18歳から28歳まで広島市内に住んでいた。いまはおなじ広島市内でも山のなかで、駅のほうもめったに来ないが、昔、駅のあたり、平和公園のあたりで、ひとりで時間潰ししてたら、なぜかよく、おじさんたちに声をかけられた。地べたで、一緒に煙草吸ったりしながら、ずいぶんいろんな身の上話聞かされたりしたもんだ。
平和公園でひなたぼっこしてたら、「姉ちゃん、煙草吸うような年じゃなかろうよ」と声をかけられて、「二十歳だからいいんだよ」と答えたのが19歳のときだったけど、気がつくと、まわりに6、7人おじさんがいて、宮崎から来たとか、島の出身だとか、25歳のときに女房が死んだとか、仕事があるとかないとか、いろいろせつなくもある話をえんえん聞かされることになった。するとそこにやくざっぽいお兄さんやってきて、「おっちゃんらよ、これ、わしのおなごじゃけえ」と言うのでたまげたけど。あれはおじさんたちから解放してくれたんだろうな。
また別のとき、駅で、おじさんと話していて、バイトの時間になったので行かなきゃ、と言うと、「あんたのバイト料出すから、もうしばらくいっしょにおってくれ」と泣かんばかりに言われたときは、迫ってくる孤独のすさまじさが怖かった。

それから東京にいたころ、愛媛に帰省するついでに広島に立ち寄ると、なぜかその度に、街ですれちがう、おじさんがいた。いつも段ボールをひきずって歩いているおじさんだったが、あるとき、信号待ちが一緒になった。黙って並んでいたのだが、信号が変わって歩きだすとき、おじさん、私に向って突然言ったのだ。「工夫して、生きんと」。
はい、と答えたかどうか、覚えていないが、その言葉は、妙に心にしみた。生きるのが、えらくつらくなっていたころだったこともあるんだが。自分に絶望的に欠落しているのは、「工夫」、生きるための技術のようなものだと言い当てられたような気持がした。
それを最後に、そのおじさんを見かけない。

工夫して生きんと。ほんと。

段ボールで家をつくれるようになっておこうと、一時期本当に思っていたが、そういうことでもないよな。