ひろった栗もらった栗

土曜の午後、義父から電話がかかって、いきなり帰省することになり、10分ほどで荷物まとめて車に乗った。
連休中、あれこれしなければならないこと、しようと思っていたこと、あったのだが、子どもの着替えをかばんにつめている間に、めでたく忘れてしまった。どうせ義父母のところにいる間は、何にもできない。

で、夕方帰ってきたのだが。ちびさん寝てから、考えよう。

行楽日和の3日間。
日曜は、みんなで萩まで、お気に入りの店に海鮮丼を食べに行った。偏食すばらしいちびさんも、ここのイクラ丼は食べられる。がっついていた。
行き帰りの道の途中で、道端に落ちている栗を拾う。110個拾った。110個目を拾ったときに、後ろから来た車が私の目の前にとまり、なかからおばさんが降りてきて、栗をもらってくれないだろうか、という。自分の山の栗を採ってきたのだが、どうしようもないほどたくさんあるのだという。
貰えるものはよろこんで。
大きな栗をどっさりもらった。
たちまち、111個目の栗を拾う気をなくした。

夜はサザエをたくさん食べた。偏食のちびさん、おじいちゃんおばあちゃんがご馳走用意してくれたって、栗ごはんもサザエも何にも食べれず、申し訳ないが、親たちはありがたく食べつくした。

拾った110個の栗に、もらったたくさんの栗。義父母の家の庭になっていたスダチ。ほかに柿もひと山、どっさりもらって帰りました。収穫の喜びは喜びとして、さて、これをどうするか。


午後、広島に帰る途中で、高速のサービスエリアに入る。おばあちゃんがつくってくれたお弁当を、サービスエリアのなかの、すべりだいやジャングルジムのある小さな公園のベンチで食べることにした。
ちびさん、お弁当より、すべりだいがいい。ほかに同年齢かもうすこし年上の子どもたちが何人かいた。
少し離れたベンチで、私は見ていた。ちびさん、すべりだい、こわいのだ。すぐにすべれない。ので、のぼった階段をまた降りる。他の子と流れが逆になる。どうなることかと思いつつ見ていたら、それでも、他の子のじゃまにならないように、じょうずによけながら、のぼったり降りたりしていた。
やがて、子どもたちも、まわりにいた親たちも、すべりだいを離れて、ちびさんひとりになった。ちびさん飽きずに、階段ののぼりおりをしていた。するとそこに、小学校1年くらいかな、さっきいた子どもたちのうち、女の子ふたりがもどってきたのだが、女の子たち、なんと、そばにあった木切れをもって、ちびさんに向って、「こっちにくるな」「あっちいけ」と追い払い始めた。

なるほど、こうなるか。

「もどってこい。ばかなやつらにちかづくな!」とパパが怒鳴った。
「こっちにおいで。いじわるな子らとあそばなくていい!」と、ほとんど同時に私も叫んだ。
ベンチにやってきたちびさん、つっぷして泣いている。それから、パパが怒鳴ったのを自分が叱られたと思ったらしく「パパ、ごめんなさい」という。いやいや、きみは悪くない。

親たちは離れていて、自分の娘たちが年下の子に何したか見なかったかもしれないが、きっと本人たちも忘れてしまうだろうが、かわいい顔した子たちだったが、かわいそうに、たぶん、たましいに汚点は残ったよ。犬のように、人間の子を追い払って。

さて、そのあたりにいた親たち子どもたちいなくなり、お昼ごはんも食べたので出発したいが、ちびさん、まだすべりだいに未練がある。最後の最後、ようやくすべり降りることができて、「ぼくすべりだい、すべれたの」と、いい笑顔でした。