これがわたしの生きるみち

栗の皮むき、だるかった。
あちこち、もらってもらって、すると栗がさつまいもに化けたりして、嬉しかったが、のこった最後の栗もようやく栗ごはんにした。

海外送金する。はじめて機械でする。手数料500円安くなる。向こうの銀行にトラブルがあったとかなかったとかで、すこし待っていて予定より送金が遅くなったが、そのおかげで、円高になったのは、海外送金する身としてはありがたい。

先週の月曜日、そういえば某高校の放送部やってきて、パアララン・パンタオとゴミ山の古い写真と夏に行ったときのビデオテープと、渡した。それで終わりと思っていたが、そうでもなく、取材もされた。早口なので、前にした話を、もう一度喋りなおしてくださいというのもあって、ごめんなさい、喋りなおせって、喋りなおせないけど。それでまた、顧問が、学生時代からの友人だったりして、いろいろ聞かれると、ごく個人的な、むろん高校生にきかせるつもりなどなかったことも、つい喋っていたりするのが、なんだかなあ。
でもまあ、ゴミの山の学校とレティ先生のことを知ってもらえたことと、大場さん小西さんたちの植林の活動を紹介できたことはよかった。
世の中には、ほんとうに、なすべきことを知っている人たちがいます。そういう人たちは黙ってなすべきことをしています。理由もつけず、とても淡々と。 
テーマは「道」らしい。

夜、眠りかけていたら、まだ起きていた子が、「ママ、これ」と得意そうにもってきた。
「これがわたしの生きるみち」とかいてある。ルビまでつけて。

どこで何をおぼえてくるのか、把握しきらなくなってきた。

つまんないの、と言いながらも、ちびさん幼稚園に行ったし(道あるきながら、電車のヘッドマークの由来を、「宇和海は夕日がきれいなところを走るから、海に夕日が沈むヘッドマークなんだ」とか、図鑑の丸覚え──尋常ではない丸覚え、ずーっと説明してくれた)。

私もたまった用事を片づけよう。せめて目の前のことをひとつずつ。