森のなかの小さな木の実

子ども。なぜ、なに、どうして、の季節ではあるが。

めずらしくパパが絵本を読んでやっていた。「銀河鉄道の夜」は漢字がわりとあるのでひとりで読みきらない。ねだって読んでもらっていた。途中で、ちびさんが口をはさむ。
「どうしてジョバンニは貨物列車が好きなの?」
するとパパ、「知らんよ、そんなこと!」って答えていたが。

どうしてって、きかれたら、どうしてって、ききかえせばいいんだよ。彼は自分で答えをもっているよ。もってないときは「わからない」っていうから、そのときだけ一緒に考えればいいよ。

「ジョバンニは活版所に仕事に行くとき、貨物列車が通るのが見えるから好きなんだ。どこか遠くにいきたいなあって思うんだよ。ぼくも遠くに行きたい」

ほら。

幼稚園バスを降りて、家まで帰る坂道で、山の木に実がなっている。
「ママ、これは何?」ときく。
「何だろねえ」と私が言うと、
「これは、森のなかの小さな木の実なんだ」と答える。
森のなかの小さな木の実。たぶん何かの本に、そのような書き方がしてあったのだ。

教科書を読むみたいな話しかたをする。「自閉症」の特徴のひとつのようではあるんだが。記憶の仕方、取り出し方は、たしかに尋常じゃないと思う。手をつないで、ちびさんがずーっと喋るのを聞きながら歩いていると、傍らで、図鑑か絵本がめくられていく音を聞くようだわ。
ふんふん、と適当に相槌うちながら聞き流しているだけなので、再現できませんが。

夜、ピーとかヒューとか、かんだかい奇妙な音がする。米が炊けたという音でもないし、と思っていたら、どうやら鹿らしい。
向いの森で、鹿が鳴いているらしいのだ。

奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき

の鹿である。鳴く姿は見せない、らしい。今も鳴いてる。哀切な声である。つられて近所の犬も鳴いてる。