所有、について。

台所に数匹のショウジョウバエ
百匹いればともかく、一匹二匹とんだって、私は気にもならないが、パパはゆるせないらしく殺虫剤に手を伸ばす。台所に殺虫剤を噴霧する。私はそっちのほうがゆるせない。
原因はなんだ。片付けないからだ。それはお互いさま。台所はママの管轄だろう。私の手に負えないくらい、ここにものをためるのは、誰ですか。

ののしりあっていてもショウジョウバエはいなくならないので、手分けして片付ける。古いくだもの缶の腐食発見。
このくだもの缶は、おじいちゃんおばあちゃんが子どものために買ってくれたものだが(それがまたけっこう大量に)あいにく子どもは、みかんといちごとバナナ以外の果物を決して口に入れようとしないのだった。子どもに食べさせるのでなかったら、わざわざ缶切りで缶をあけよう、などという元気は出てこず、数年置きっぱなしだったのだが。
入れていたプラスチックのカゴのなかに液体がたまっている。
でも、なかから缶詰の汁がでてきたわけではないらしく、たぶん冬に結露した水がたまったんじゃないの、と結論した。
古い缶詰処分して、すこしさっぱりした。

片付けても片付けても(と私は思っているが、そんなこと言えるほど片付けてない、とパパは言う)片付かないっ。
パパも息子も、実にものをためこむ人たちで、いつか使える、とか、もう手に入らないものだから、とか、とにかく今使わないものが、どれだけ無駄に押入れを占領しているか。息子まで、もう使わないおもちゃなのに、ぼろぼろなのに、捨てようと思って袋に入れていたら、泣いて抗議して取り戻して、やっぱり使わない。

こんなにものをためこむ人たちと、狭い家で、気持ちよく一緒に暮らそうと思ったら、だれかは、ものを捨てる人にならなければならないはずだが、私がまた、捨てられない人間なのだった。

本は本棚に並べればいいけれど、そのほかのものは、どう片付けていいのか、私はもう、わかりません。なんとか布団を敷く場所をつくる。なんとかすわる場所をつくる。のがせいいっぱい。

思えば18歳で家を出るとき、私のもちものといっては、布団袋のほかには小さな段ボール6つですべて。畳一畳分のベッドと机のスペースがあるだけだった大学の寮の、小さな押入れのなかも、がらがらだった。
家を出る準備をしているとき、あれももっていけ、これももっていけ、と母は言い、あれもいらない、これもいらない、と私は言った。母が準備してくれたもののほとんどすべてを私は家に置いてきて、母を悲しませていることを、知っていたけれど。
所有する、ということが、私はとてもおそろしくて、何ももたず、いつでもどこへでも流れてゆけるような、いつか、さっぱりと野垂れ死にできるような生き方がいいと、思っていたのだ、その頃。

でも、生きるというのは、そんなに単純な話でもなかった。
本が増えていくのはしかたない、と思った。本がなければ、人生の時間潰しの仕方がわからない。そのほかは、もらえるものでやりくりする。もらえるもの、イコール、いつ捨ててもいいもの、なので気が楽なのだ。ところが、現実には、もらうと捨てられない性分だった。使えないものも、いつか使えることもあって助かるし、そうでなければ、ほんとうにゴミになるまでの時間をしずかに預かっている。
食べきれなかったフルーツ缶10缶ほども、数年間、しずかに、台所の片隅にいたのである。

子どものころ熱を出したときにだけ、食べさせてもらえた桃缶も、大事大事と気持ちだけそう思ってとっていたんだけれど。

所有する、というのは難しい。上手に所有するということは難しい。ある土地では、昔私があこがれたように、ほんとうに何ももたない人たちが、ゴミのなかで、ゴミを拾って暮らしている。

別の子どもにとっては、夢のような、桃缶。さよなら桃缶。