また、売りにゆく。

台所から、出てきた引き出物の食器の類、段ボール2箱分かかえて売りにゆく。

たぶん、私たちが結婚するとき、義母さんとか、うちの父とかが、自分の家にあったのを、あれこれもってきてくれたのだったろうと思う。

ここにきてから13年だが、それ以前に10年もしかしたら20年、どこかで眠っていたものである。

ふと目にとまった玩具(使わない)と小物、履かないまま履けなくなった子どもの靴下も、持っていく。

パパは、もっておけばいいじゃないか、いつか必要にならないとも限らない、って言うんだけど、家族3人しかいないのに、人が集まる家でもないのに、湯呑もコーヒーカップもグラスも20個も30個もいらないよ。もしも、必要になったらそのときは紙コップ。

30円+30円×2+150円+200円+5円×5+100円×2+10円

=675円でした。

なんかなんか、小学校低学年の算数だね。

たいしたものはないので、あんまり期待してなかったけど、食器、半分以上値がつかなかったのは残念だった。そのまま置いて帰りたかったが、パパが町内会のバザーに出す品物がいるというので、もって帰ることにする。

中古でも数千円とか1万円近くするようなお皿が飾ってあって、眺めた。

すごくきれいで、うっとりする。でも、こういうのは眺めるに限る、と思う。

100円が割れても泣かないが、10000円が割れたら傷つく。

たかが食器で傷つくのはいやだ。

こないだ売ったのとあわせて、たぶん2000円ぐらいにはなった。

この小銭を計算するときの、ぎりぎり感が、私はわりと好き。というか、なつかしいんだ。

パパがカードで買い物するせいで、子どもに、お金がないということを、目に見えるかたちで、財布のなかに何もないとか、そういうふうに見せてやれない、のは、とても残念なことだと思う。

どんなに私が、お金がないって言ったって、ママにお金がなくても、パパにはカードがあるし、おじいちゃんは何でも買ってくれるし、って思ってるし。

そんなにうわずって生きてて、いつかひどい目にあわないかと、心配だ。

帰りに、出納簿と封筒買う。種イモも買う。

春休みになったら、玩具の片付けをさせよう。ためこむだけためこんだ玩具を、整理させて、少し放出させよう。

片付かないのは、狭い家に、3人が3人とも、ガラクタをためこむからである。壊れたパソコンとか、拾ってきた本とか、古着の類、文房具の類、なんでも。

そう言えば、私の母は、包装紙の類まで一枚一枚、皺をのばしてとっていた。工作のときには役に立ったものだ。包装紙でつくった帽子を、小学生の私は5つも6つももっていて、恥ずかし気もなく、それをかぶって近所を歩いていた。

片付かないのはしょうがないが、年に一度か二度は、それでも片付けないと、足の踏み場ないからなあ。そろそろ、とりかからないとなあ。

それで、自分のガラクタは宝物だが、他人のガラクタはゴミなので、

3人があーだこーだと叫びあって、収拾つかないんだ、いつもいつも。