あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
起きたら外はきれいな雪景色。
朝は、ご近所の足の不自由なおじいさんとおばあさんと一緒にお出かけして、帰ってお雑煮食べて、庭でこまをまわして遊びました。
ちびさん、おもち食べないので、いつものようにピーナッツバターパン食べた。
私はひさしぶりのコマまわし。じょうずにできた。昔、児童館で働いたころに特訓したのだ。子どもがコマと一緒にまわっていた。



2009年、最初に耳にしたのは午前0時からのニュースで、イスラエルが、医療品を運ぶために2日間の停戦を求められたのを拒否した、というものでした。愕然として、そのニュース見てから寝たんだけど。


kayoちゃんのブログから転載します。



▼「パレスチナの子どもたちのための詩 (2008年12月)」
 (THE OTHER MUSIC FOR PALESTIAN CHILDREN Dec 2008)
 http://www.youtube.com/watch?v=sjTwI3tcAx4

  [詩] マフムード・ダルウィーシュ
 [映像] ジャン=リュック・ゴダール
 [音楽] ベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番第3楽章
 [編集] イルコモンズ
 2008年 6分9秒 カラー(英語字幕つき)
 *「アザーミュージック for レバノン」(2006年)の改訂版
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 「世界がだんだんとじてゆく (The Earth is Closing on US)」
 (詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳:イルコモンズ)

 世界がすみっこの方からだんだんとじてきて
 ぼくらをいよいよ最後の小道へ追いつめてゆく
 ぼくらはなんとかそこを通りぬけようとして
 自分の手足までもぎとったというのに
 それでも大地はぼくらを押しつぶそうとする

 いっそのことぼくらが麦だったらよかったのに
 そしたら死んでもまた生きかえることができるから
 でなければ、大地がぼくらの母さんだったらよかったのに
 そしたらきっとやさしくしてくれるだろうから
 あるいは、ぼくらが岩に描かれた絵だったら
 鏡に映して夢のなかへ運んでゆけるのに

 ぼくらは泣いた
 子どもたちの祭りの日のことを思い出して

 ぼくらは見た
 最後に残された土地のひらいた窓から
 子どもたちを外にほうりなげた者たちの顔を
 ぼくらの星はその顔に鏡をつきつけるだろう

 ぼくらが世界の果てにたどりついたとき
 その先ぼくらはどこへ行けばよいのだろう?
 そして最後の空がつきはてたとき
 鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?
 草木が最後の息を吐ききったとき
 どこで眠りにつけばよいのだろう?

 僕らはそのわずかな血で
 僕らの名前を記すだろう
 僕らはその翼をもぎとり
 僕らの肉がさえずる歌をききながら
 その命を終えるだろう

 最後に残されたこの小道の上で
 そう ここで この土地で
 僕らが流した血のうえに
 ここからもそこからも
 オリーブの樹がなるだろう

 弟が生まれたよ!


 「こどもの誕生はそれでもうひとつの抵抗である」
 (ジャン=リュック・ゴダール)



今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。