『日時計の影』

「画を通じて私は痛感した。医師が研究の眼差しであるか治療の眼差しであるかに患者は敏感である。また、患者の症状を診るだけならよいが、患者への眼差しの焦点はその人柄と生活に置かれねばならない。でなければ、患者の自己規定は「精神科患者(入院患者、通院者)」になってしまう。患者の価値観は世間と同じで、世間の偏見を取り込んで自己に向けている。症状に対して身を乗り出すと医者は患者を見失う。患者は治療者の意を迎えることに汲々として、すぐに医者の興味がある言葉を用意するようになるのだ。精神病理の陥穽である。西欧の高名な精神病理学者の大論文のもとになった患者で自死をとげている人の名を挙げることは実にやさしい。治療者に多くを与えすぎた患者は危ない」
                 中井久夫日時計の影』

 昔、18歳からずっと精神科に通っているという女の子を知っていた。専門用語もよく知っていて、いろいろ教えてもらったが、彼女に「かずみの病気は、精神科医では手に負えないよ」と〈診断〉されて、私は医者に行くのをやめたという経緯がある。
 そのころは、部屋に置いた花が咲かないままに枯れていく、というのをずっと見ていて、このままだと、もうじき自分も死ぬだろうなと思っていたのだ。
 その後、その女の子には絶交されたのだが、どうしているだろうか。彼女には病気がプライドのようで、それがすこし気がかりだった。


「(清家清という建築家は)家を見る時はまず、その家の中の植物をみるのだそうである。植物が育たない家は、設計者がわるいか、住む人が問題を抱えているかだと、」(日時計の影)

 その通りと思う。部屋のなかでどんどん枯れていく花を半年ばかり眺めて過ごしたが(それだけでじゅうぶん病的だが)、それからもう15年以上過ぎているが、あれ以来、私は部屋に花を飾る勇気がない。
 庭の草木はそれなりに元気だから、今のところ、まあまあ人間も健康で生きているんだろう、と思う。
 

「人はその最高かそれに近いところで評価されるべきで、最低で評価されたら身もフタもない」(日時計の影)

 まったくその通り。身もフタもないです。