反貧困

『反貧困』(湯浅誠)読了。
ヴェイユの「工場日記」の現代日本版、みたいな感じ。
それよりひどいか。工場を追いだされてしまうし、住むところがないのだから。

えらく身につまされる本でもある。
さいわいにも、路上に追いやられたことこそなくてすんでいるが、学生時代から、ほんの数年前までの(だから、いつまたそうなるかもしれない)私の身分の危うさや、暮らしの貧しさの程度は、ここにあるとおりで、もうとても他人ごとと思えなかった。

今日の午後、近所の女の人たち数人ほどの集まりで、ふと不況の話になり、みなそれぞれに心配ごとを抱えてはいるのだろうが、まあ、そんなことは言わず、派遣切りとか、路上生活の話題になった。

まじめに就職しないでいて、派遣でも働いていたのでしょう、なのに貯金もせずにいて、それで暮らせなくなったからって、人生を甘く見てるわよね、またそれをマスコミがはやしたてて、とか、そういうことを、目の前のごく善意の、同世代の隣人たちが、言うのを、私は愕然として聞いた。
ひとことでいえば自己責任論。その自己責任論には、貧困を、直視したくない、という感情が透けて見えて、たぶん、この人たち、貧困がこわいのだ、と思ったけど。きっと、明日自分がそうなるかもしれない恐怖に直面しないためには、それぞれの自己責任、ということに、(つまり、他人ごと)、にしておいたほうがいいのだろうが、でも、その冷たさというか、無理解に(無慈悲にかわる無理解に)、はっきり言って私は傷ついていた。

就職なんて、私だってしなかった。仕送りなんかなくて、自分のバイト料で学費と生活費を出していて、今月バイト休んだら、来月暮らせないという状況で、就職活動なんてできない。とりあえずのバイトを続けていくほかに、生きていく方法がないのだ。電話代払えなくて電話はたいていとめられていたし、家賃の滞納を一か月も二か月も滞納しても気持ちよくゆるしてくれる大家さんでなかったら、私だって路上暮らしだった。いまだって、いつだって、そうなるかもしれない。学校に行けるとか、就職できるとか、少々経済的に大変でもがんばれる、というのは、それなりにがんばれる状態にあってはじめてできることで、とても運がいいのであって、その運のよさの部分が奪われたり失われたりしている人たちもきっとたくさんいるのに、本人の生き方が悪いとか、自己責任だとか、そんなことは言えないと思う。

というようなことを、私は思わず喋っていたのだけれど。(どう思われたかは知らないが)

自己責任、なんて言い出したら、地震にあうのも、事故にまきこまれるのも、自己責任である。私が私として生まれたことが、すでに自己責任だ。私の貧困もむろん、自己責任です。頼まれたって他人のせいにはしてやらない。だけれども。

むかし、児童館で出会った中学生が、「おねえさん、おれ、ダメだよ、別れた親父はヤクザだし、母ちゃん病気だし、オレ、頭わるいし、だいたい生まれからダメなのよ」と、誰とケンカするためなのか、眉毛まで赤く染めて言っていて、そのやるせなさに対して、無力だった自分を、今だに胸の痛みとして私は思い出すけれど、あのときの彼のぼやきを、「それはおまえの自己責任」だと、つきはなせるとしたら、私はその自分を絞め殺してやりたい。
「だからといって、中学生が煙草吸っていいということにはなりません」と、もっていた煙草とりあげて、私が吸ったんだけれどもさ。「ひでえなあ、ひでえよう」と彼は笑ったのだが。

あの少年のようなやるせなさ、どうしようもなさを、だれがどれだけ抱えて生きているともわからないのに、どんな事情で追い詰められてしまったのかもわからないのに。

ふつうの暮らしができる人たちは、それは自分たちだけの頑張りの賜物ではなくて、がんばることができるような環境、金であったり家族であったり友人であったり、いくらかの運のよさであったり、そういうものにどれだけ恵まれているかに気づくべきだと思う。でもたぶん、気づかないのだ。もしもそれらの、いくばくかの運のよさがなかったら、どうなるのかということについては、まるで想像力が働いていかないのらしかった。
きっと、そんなことを思う必要がない程度には、つつがなく暮らせてこれているのだろうことは、幸いなことだけれど、他人の貧困に対して「自己責任」だなどと、切り捨てる側の人間にならずにすんだことは、人生のある時期を(かなり長い時期を)かなり貧しく生きてこれて、私はよかった。
しかも、いくばくかの運のよさにも恵まれて。いま、屋根と米と家族があるのだ。

だれの責任であろうとあるまいと、弱い立場のほうに心を傾けるのでなければ、世の中なんて、いずれ強者にとっても生きづらいものになるだろうに。


ちびさん、病院で、またしても点滴の女の子を見たせいで、もうそれだけで、悲鳴をあげて大泣き。きみは注射をしないのだと、言い聞かせても、聞く耳もたない状態のパニックだった。水疱瘡の経過は良好。