8月の終わりだったか、東京の友人から電話があって、土砂崩れは大丈夫かと言うのだったが、何のことかわからず、とまどった。いまテレビに映っているの見て、って言うのを聞いて、それはもしかしたら、2年前の映像だよ、と思いあたった。2年前に大きな土砂崩れがあって、70人を超える死者が出た、その映像が流されていたのだろう。電話をもらった8月末は、このあたりは土砂崩れどころか、雨が全然降らない、ひでり日和がつづいていたころだったのだ。
さて今日の夜、かかってきた電話は、松山に住む私の伯父からで、たぶん声を聞くのは10年ぶりぐらい、会ったのは祖母が亡くなったときだから16年ぐらい前、日ごろは思い出すこともない伯父なのだったが、その伯父がまた「土砂崩れは大丈夫やったか」と言うのであった。
2年前の災害のときに電話をしたら出なかった、その後も何回か電話をしたが出なかった、という。
伯父の家に、もしかしたら小さいころに行ったことがあるかもしれないが、私には記憶がない。子どもの頃、たまに祖母のところに来ていたこと、お葬式のときに顔を見る親戚のひとり、というぐらいの記憶しかないのだが、私の家族は、この伯父にはずいぶん世話になったようなのだった。
「わしも年とってもうじき死ぬけん、昔のことを思い出すが」というわけで、私も思い出してもらったらしい。それから伯父さんは、私がまだ小さくて、何も知らなかったころのことから、わが家の半世紀の歴史をたどりなおすのだった。
兄が最初に就職した証券会社の連中が、兄に博打をさせてお払い箱にした、という話のようだった。なのに会社のほうが迷惑をかけられたという言い方をしてくるから、どやしつけてやった、若い者に、人生をめちゃくちゃにするようなことをさせて、何の被害者づらか、話があるんなら、警視庁の同級生につきあってもらうと言ったら、あやまってきた、という話は、はじめて聞くかな。
そのあとのことは私も覚えている。借金の取り立てに、うちにヤクザが来ていた頃の話、あのヤクザはわざわざ東京から来ていたらしい。あのときも伯父さんがヤクザと話をつけてくれたこと、その話は以前も聞いた。何十年前の証文をまだもっているって。
それから死んだ私の母のこと。
私に電話する前に、父に電話してあれこれ近況は聞いていたらしい。兄のこと、弟のこと、父から聞いたことを、伯父さんが喋るのを聞く。それから、おまえの息子は何歳になったかとか、大事に育てえよ、とか、人間はまじめに生きんといけんとか、親孝行してやれとかとか、ひとしきり。なんというか、半世紀分の家族の歴史について、おさらいさせられるというか、叱られるというか、お説教を聞くはめになったわけですけど。
「伯父さん、どうもありがとう、元気でね」と電話を置いてから、思った。
たぶん、この伯父さんは自衛隊にいて、生活は一番安定していて、だから、離れた町の兄弟の家族のことなんかも、気にかけたり、記憶していたりする余裕があったかもしれない。
こうしてみると、私は自分の家族のことも、たいして知らずに生きているなあと思うんだけど、母は死んだし、家族の歴史なんて、きっともう父も兄も話さないと思う。伯父さんは話してくれるだろうが、では聞きたいか、知りたいか、というと、そうでもない。自分が知らずにすんだことは、知らないままでいい気がする。
私は覚えていないのだが、高校生の頃の私が、伯父さんに対して、そのころさんざんだった兄のことをかばったことがあるらしく、伯父さんの記憶にのこっているその自分の姿が、ふと可憐に見えた。
それはそれで、可憐でよいが、他人の記憶のなかにいるのは、きっと私が覚えていない私で、責任もてないなあと、思うなあ。