逃亡者

オウムの逃亡者の最近の映像がさらされているみたいだ。

唐突に思い出したのは、自分が見たわけでもないんだが、昔、兄が借金取りだかヤクザだかに追われて、職場のトイレの窓から逃げた、という光景だった。

あのころ私は高校生で、どうやら兄が博打ですってんてんで、サラ金(と当時言っていた)で借金まみれになったせいで、つまり、家には毎晩サラ金から電話が30分おきにかかり、2日とあけず、ヤクザが怒鳴りこんでくる、というふうだった。
玄関横の板の間に机と椅子を置いて私の勉強部屋だったが、玄関で母が、ヤクザに土下座にしている気配を、ガラス戸越しに感じながら、私は受験勉強していた。

学校から家に帰るとき、怯えた獣の腹にのみこまれるみたいだと思った。こわくて体がふるえた。耳にした大人たちの話のなかに、兄がトイレの窓から逃げ出したという話があって、私はそれを、そのときの自分たちのみじめさを象徴する話のように記憶した。
なんで兄は、こんなみじめなことになってしまったのか。なんで私たちは、こんな恐ろしい夜のなかに、放り込まれてしまっているのか。

この夜の外に出て行こうと思って、大学に行くよりほか、方途が思いつかなかったんだけど、あんなところで、よく勉強したよなあ。父は進学に反対だったから、顔をあわすと、泣きわめいて喧嘩していた。金出していらないから口も出すな、と言って、勝ち取った進路の自由だったが、金がないのはやっぱりそれなりに、暑いし寒いし、ひもじいし。

私は兄を大好きだったけど、それでも兄をにくんだと思う。トイレの窓から逃げ出さなきゃいけないようなみじめさに打ちのめされたし、ほんとににくんだと思うんだけれど、歳月がたって気づいてみると、私は兄の、あのみじめな姿に、励まされてもきたのではないか。
兄のしたことは、私たち家族を地獄に放り込んだようなことだったけど、それからの人生のいたるところで、追われて、トイレの窓から逃げ出した、みじめであさましくてみっともない、あの兄の姿に、私は励まされているようなのだ。

自分が、この地上に足を降ろす場所がないと感じてしまうようなとき、それなりに、みじめさの底にうずくまるようなとき、でもおまえはひとりじゃないよと、会社のトイレの窓から逃げてきた兄があらわれて、ささやいてくれるようだったから、不思議だ。

家族の愛憎は、死んだ母さんはともかく、生き残った者たちの間では今なおぐちゃぐちゃなんだけれども、兄が、何度も、すってんてんにみじめな姿をさらしながらも、生き抜いてくれていることに、ほんとうのところ私は感謝している。

言わないけどね。

オウムの逃亡者も、捕まるにせよ逃げのびるにせよ、すってんてんにみじめでも、生きのびて欲しいと思います。

みじめさの底にいるあらゆる人々は、だからこそ生き抜いてほしいと思います。