冒険家とその恋人

玄関先で女の子の声がする。「バイバイ」って。
それから子どもが帰ってくる。一緒に帰ったのってきいたら、
「今日はひとりで帰っちゃいけないって言われたんだ」って言う。
なんでも、近くのホームセンターに強盗が入って、何かものを盗んで、店員を突き飛ばして逃げて、まだつかまっていないらしい。
それで、こないだ荷物もたされた女子ふたりと(今日は荷物もたされずに)一緒に帰ってきたらしい。
しばらく前に小学生がひき逃げされたが(幸い軽症だったが)その犯人もまだわからないし、いろいろとぶっそうだなあ。



「ぼくは冒険家になるよ」と子どもが言う。
たぶん、ムーミンパパが昔、冒険家だったというお話を読んだからだな。
「世界中を歩いて、いろんなものを見るんだ。それで、ママは冒険家の恋人なんだ。ひとりじゃつまんないから一緒に行こう」
……冒険家の恋人にさせられてしまった。

それでママ、どこに行きたいって聞かれても、昨日、電車祭りに行ったばっかりじゃんか。歩きすぎて足痛いから、どこにも行かないで昼寝したい。

「寝たら夢を見るんだ」って子どもが言う。「かなしい夢なんだ」
どんな夢?
「ママが家出して、いなくなっちゃう夢。もう何回も見た」
子ども、すこし怒ってる。ごめんよ。たしかにママはときどき家出する。

「家に帰って、ママがいなくて、ドアがあかなかったら、ぼくはドアの前でランドセルを机にして宿題するんだ。そうやって待ってて、それでも帰ってこなかったら、どこかでテントを借りて、畑にテントをはって、畑の野菜食べて暮らすんだ」
それは、すごい冒険だよ。どこにも行かなくても冒険だね。たぶん、生きてるだけで冒険かもね。

そういえば、私も、お母さんがいなくなっちゃう夢を見たよ。幼稚園のとき。お母さんがおばけにさらわれて行ってしまった夢。
「それで、追いかけたの? 連れもどせなかったの?」
子ども、興味津々で聞く。
ああ、あのかなしい夢はまだ覚えている。たった5歳でも心のなかは雨も降ったし風も吹いた。お母さんをおばけにさらわれた。

子どもは8歳である。すでに疾風怒濤にちがいない。それでママが家出する夢を見るのだ。なるほど、それでときどき言わなくちゃいけないんだな。「ママ、ぼくを忘れないでね」って。
いじらしいもんです。



子ども、学校の掃除時間に、6年生に怒られるのがいやだと言う。掃除場所はプールのトイレ。もう一ヶ月くらいたつのだが、毎日怒られるっていう。
さぼってて怒られるの?ってきいたら、ぼくはさぼってないって言う。
どんなこと言われるのってきいたら、「おまえ、口あるのか」って言われたって言う。
それは何か言われて返事しなかったからじゃないの(家でもさんざん、返事は?って言われてるよね)って言ったら、「でも掃除時間は、無言で掃除しなきゃいけないんだよ」って言う。

ああ。アスペルガーの教科書に出てきそうな話だなと思うけど、コミュニケーションがうまくいかないんだな。これをどう理解させるかは難しいなあ。
たぶんさ、6年生はみんなにちゃんと掃除させようと思って一生懸命なんだよ。
「でも、ぼくばっかり怒るんだ」
だから、何か言われたら、返事くらいしてあげなよ。
(だけど、それがむずかしいんだよな。返事が期待されてるってことに気づかない。期待されている返事が何かもわからない。)

「ぼくは、だれかに怒られるのも、命令されるのも、とってもいやなんだ」
って言う。うんうん、それは私も。とっても共感する。
命令されたら、自分がやろうと思っていたことでも、たちまちやめてしまいたくなるよね。命令っていうのは、それが命令である限りは、絶対従いたくないんだ。

トラウマが疼く。高校生のときだ。上級生を怒らせたり、教師を怒らせたりした日々は、途方もなく憂鬱だった。私は何にもしていないのだが、何にもしていない私の何かが気に入らないらしい、どっかで私は逆鱗に触れて、目をつけられたのだが、何が何かわかんないまま、放課後、呼び出しくらって説教される。毎日毎日。しかも向こうは、正義で善意で、一生懸命で、それで私はひたすら憂鬱、憂鬱、憂鬱で、だから放っておいてくれたらいいんですって、教師に言ったら、私は教師ですからね、そういうわけにいきませんって、また逆上させたんだっけが。

私は15歳か16歳だったが、子どもはまだ8歳だ。
しょうがない、冒険家の恋人としては、世間を敵にまわしてもあんたの味方だ。

事情がよくわからないのですが、掃除のときに6年生に怒られるのがつらいと言います。……とりあえず、連絡帳に書き書き。