多摩川河川敷の物語

久しぶりにテレビを見た。

リスがリモコンをもっていってから(ちびさん向けにはそういう話にしてある。私が隠したのだ)かれこれ一か月。私も子どももテレビを見ていない。(パパは夜中にこっそり見ているが)。ちびさん、時計をみながら、今の時間は、何の番組をやってるとか、ときどき言っていたが、DVDは見てもいいことにしたので、そんなにストレスでもないらしい。私はテレビが見れないより、ちびさんの相手をしなければならない時間が増えたのが、微妙にストレスではあるんだが。

リスがリモコンを返してくれたわけではないのだが、ちびさん寝たあと、久しぶりにテレビを見た。
NHK ETV 午後10時00分~11時30分
「ひとりと一匹たち 多摩川河川敷の物語り」
多摩川河川敷のホームレスのおじさんと猫たちの物語。

多摩川は、東京にいたころ、ときどき遊びに行くところではあったし、なつかしい景色だった。道から土手に、すべり降りるときの気持ちが、私は好きだった。街の暮らしの夾雑物が、気のせいだろうが、剥がれおちていくようで。

ホームレスの暮らしぶりは、たぶん、男ひとりのホームレスであるところが、日本は独特だと思う。女子供もくっついてくれば、きっとパヤタスと同じように世界のどこにでもあるスラムの景色だが、おじさんたちと一緒に暮らすのは、女子供ではなく、すられた犬猫たち。

昔、数か月居候させてもらった先の、ひとり暮らしの女の人が、捨て猫4匹(その後6匹に増えた)と暮らしていた。その猫たちのことを、ものすごく久しぶりに思い出した。家主が夜逃げしたあとの裁判所の競売物件に、間借りしていた女の人が取り残され、そこに猫たちと、私がいついた。ずいぶんへんな暮らしだったが、あの猫たちの名前も顔も、思い出せる。きっと、仲間だったのだ。女たちも猫も、それなりに追いつめられて吹きだまっていた。

「死んだら、みんなこうだろうなあ」と一緒に見ていたパパが言った。いま金持ちでも政治家でも、死んだらみんなこうだよ。ああ、そうだろうなあ、と思った。
地位も名誉も金も家族もなんにもなくなって、無一物で、びょうびょうとした河原を歩いてゆく。

アウシュビッツへの道は、死へ向かう道であると同時に、すでに死後の世界だったのかもしれない。裸で無一物で、まもってくれる何ものもなくて誰もいなくて、そんなふうに、死んだらみんな、歩いていかなければならないのかもしれない。

学校の図書館で「悲劇の少女アンネ」を見つけて読んだ9歳のときから、アウシュビッツが気になったのは、もしかしたらそれは、私自身の死に関わってくると、感じたからかもしれない。たしかにそれは、私自身と関係があったのだ。

何もかもはぎとられて、失って、何ももたず、死者という死者が、広い広い多摩川河川敷を歩いていく。冬の風に吹きさらされて、骨きしませて歩いていたりするかもしれない。死んでもなお、首くくる枝を探しながら歩いていたりするかもしれない。台風であふれる流れに千度呑み込まれる人もいるかもしれない。でもたまには、春のピクニックのような楽しさで歌うたいながら、歩いてゆく人もいるだろう。

みんな死ぬが、みんないつかは多摩川河川敷のホームレスだが、楽しい死後のピクニックは、なかなか難しいかもしれないなあ。心して生きよう。

と思った。