質問攻め

質問攻めである。「ママ、今日の天気は?」とか、「新幹線はなんとかかんとかなの?」とか、あれこれあれこれ。いちいち覚えていられない。
しかもそれが、たちが悪いのだ。小さい子のなぜなぜどうして、とはわけが違って、ちびさん、自分が知っていることを、わざわざ質問形にして、ひとに聞くのだ。いちいち答えるのも面倒なので、質問をそのままオウム返ししてやると、自分で答える。「今日ははれだよ」とか。「新幹線はそうだよ、なんとかかんとかだよ」とか。
そして、まぎらわしいことに、ときどき本当の質問も混じっていたりする。

さらに面倒なことに、私がわからないことをきかれて、「わかりません」と言っても、納得しない。難しい折り紙とか料理とか、できないことをしろと言われて「できません」と答えても、納得しない。
ぼくができないのは子どもだからだが、ママは子どもじゃないから、わかっているはず、できるはず、と思いこんでいる。

しかしちびさん、大人なんて、子どもが大きくなっただけなんだよ。

アスペルカー症候群の本を読んでいると、自分の知っていることは、当然他人も知っていると思いこむ、というのがあって、とっても思い当たった。私がそうだった。すっかり大人になってもそう思っていた。私が思ったり考えたりするようなことは、みんな思ったり考えたりするのだから、わざわざ口に出して言う必要があるとは思わなかった。なのになんで、生きるのはこんなに難しいか、人とのやりとりは難しいか、わけわかんなかったのでした。

それでもようやく、私が思ったり考えたりするようなことを、みんなが考えるわけではないらしいと気づくと、今度は何をどれだけ喋れば、意思疎通というものができるのかがわからなくて、喋りすぎてうとまれたりする。

それから、どうやら人は、自分の知っていること知らないこと、相手の知っていること知らないこと、無意識にも測りながら、やりとりしているらしい、とわかりはじめたわけなんだけど。

自分の知っていることは、当然他人も知っているはずだ、と思いこむのが、基本的には楽だなあ。
でもつきつめれば、どんな知識も知恵も、生命についてのことなので、すべてのことは、意識するしない、自覚するしないに関わらず、ある程度みんなに共通して関係あるはずのことなので、「自分の知っていることは、当然他人も知っているはずだ」というアスペルガー的な思い込みは、そんなにへんなものでもないとは思うのだが。

とりあえず、ママにはできないことがたくさんあって、わからないこともたくさんあって、それはなまけているからではなくて、(なまけているからでもあるが)、本当にできなかったり、わからなかったりするのだと、ケーキなんか作れないんだと、毎日言い聞かせている次第。