春の庭(で採れるもの)

春の庭は、さつきやつつじ、こでまり、すずらんも咲いて、なかなかきれい。向かいの森は桜が散って椿が落ちて、いまは藤のむらさきがきれい。

冬の間ほったらかしの庭の手入れをする。すこしだけ。伸びすぎて近隣に迷惑をかけそうな枝を切らなくちゃいけないし。
春の庭はおもしろい。ちょっと這ってみると、晩のおかずが、採れた。
ふきの茎は煮て、葉は炒めて、みつばはおひたしにして食べた。

子どものころ、この時期、土曜の放課後や日曜は、天気がよければ山のなかにいた。ひとりで自転車で、田んぼや小川や、沼があったり竹藪があったり、桃畑もあった、とにかく山のほうに行って、女の子だったから、花を摘んで押し花をつくるというようなこともしたけど、花より食べられるものを摘むのが楽しい。つくし、カンゾウナ、菜の花、せり、わらび、ぜんまい、つわぶき、数時間山のなかをうろうろすれば、それなりに、食糧調達できるんである。

子どものころ、この時期、毎日の食卓は、山菜づくしだった。
山菜づくし、と書けば、立派げに見えるなあ、もうすこし丁寧に言うと、わらびの卵とじが、鍋ごと、どん、とテーブルにのっていた。
つわぶきをたくさん採ってきたら、それを煮たのが、また、どん、と鍋ごとある。
好き嫌いなど言いようもなかったのは、漬物のほかには、それしか、おかずがないからでした。でも、自分が採ってきたというすこし得意な気分のおかげで、おいしい、ような気もしたのだ。

煮炊きものは、たいてい、どん、と鍋ごとのっていたような気がする。

ときどき、叔父さんが釣ってきた魚を煮たのが、やはり鍋ごと、どん、とのっていたりした。魚はいろんな種類が一緒に煮られていて、子どもの目には、何度見ても、どれがおいしくて、どれがおいしくないかは判断できず、ときどき、見た目のきれいさにつられて、とってもまずい魚を、鍋からつりあげてしまうことになるのだった。
食べ物は、残してはいけないと律儀に信じていて、一生懸命まずいのを食べたわ。

というようなことを思い出すと、ちびさんの好き嫌い、食べたいものしか食べないとか、ものすごい食わず嫌いとか、庭の草なんか食べられるかというようなまなざしとか、ほとんど許しがたいことに思えてくる。

しょうがないので、ちびさんには別におかずをつくるけど。