3番線快速電車が…

中澤系さんが亡くなった、という。まだ若い。
名前といくつかの歌だけは以前から記憶していて、でも、歌集は、しばらく前に貸してもらって読んだばかりだった。

   3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

90年代のはじめ東京で暮らし始めたとき、まずびっくりしたのは、自動改札だった。いまは地方でもあるけれど、そのころは、大都市ぐらいにしかなかったんじゃないかしら。私ははじめてそんな変なものを見た。
通り抜けたくても、いきなり通せんぼされるんじゃないか、そうなったら、機械に向かって私はどうすればいいのかと、無事に通り抜けられるかどうか、こわくて、びくびくした。
こわい、と思った。そのこわさが、やがてあらゆるものに及んで、思い返せば、あれは確かに精神を病んだと思うけれど、3番線快速電車の歌は、東京の電車とか地下鉄の、その最初のこわさの感覚を思い起こさせる。

この歌の凄いところは、あなたの安全をまもるために「下がって」と言う、その安全を守ることが同時に、異なるもの(ここでは、「理解できない人」)を斥ける、排除排斥する、というシステムでもあることを、たった一行で、言いきってしまったことだ。
安全と排除の感覚が、あんまりリアルで、思い出すのがこわいほどだ。

安全のために、白線の内側に下がって、ああしないで、こうしないで、ということを、たえず聞かされて、もっともなので、したがっているうちに、自分の手足がどんどん消えていくような気がしていた。
気がつけば、消えた手足で、もうどうやって生きていいかわからなくなって、ゴミになってころがるしかないと、ころがっていってみた先が、フィリピンのゴミ山だったんだが、たぶんそういうことが、90年代前半に私が体験したことだったんだが、ゴミの山に行ってみると、手足が生えたのである。

信号もない道を、車にひかれないように必死で渡る。ジプニーに乗りたければ、通じない言葉をものともせずに、乗りたいんだとなんとかして主張する。一足ごとにずぶずぶしずむゴミの上を歩くのは難しいし、たらいで少ない水を上手に使って洗濯するのも難しいし、子どもたちがみかねて手をひいてくれたり、手伝ってくれたりして、そういうことをしながら、なんていうか、手足の動かし方を、自分でひとつひとつ身につけていく感覚が、ものすごく新鮮だった。なんだ、自分の手足で私は生きていけるじゃないか、という、基本的な自分への信頼感を回復させてもらったことは、永遠の恩です。

たぶん、危険や汚れや異質なものの排斥によってかろうじて成り立つような安全は、実は衰弱ということかもしれない。水槽で飼われているエビがやがて生殖能力をなくしていくとか、そういうこととつながってゆくかもしれない。この国はそんなふうになっているかもしれない。

そんなこんなを考えさせる3番線快速電車の歌。

なんだろう。この悔しさは。

ご冥福をお祈りします。