かんがえる子ども

出典はこのあたりらしい。「かんがえるカエルくん」(いわむらかずお)の絵本。
子どもが生まれたころに、古本屋で半額ぐらいで買い集めた絵本のなかの一冊。字が読めないころから、そういえばたびたびながめていた。

おひさまポカポカ、風はそよそよ、お天気がいいからいいんだけど、幼稚園バスからおりてきたちびさん、すこし歩くとすわりこみ、
「ぼく、かんがえているんだ」という。
しょうがないので、いっしょにすわる。雲ひとつないいい天気。

「ぼくはぼくで、きみじゃないんだ」
そうだねえ。
「ぼくはママがすきだけど、ママにはなれないんだ」
そうだねえ。
「ママは、空とべる?」
とべない。
「ぼく、ちょっとだけとべる。ほら」
と、カエルみたいにはねる。

かんがえがまとまったらしく、歩きはじめるが、またすぐにすわる。
「ぼく、またかんがえているんだ」
しょうがないので、私もすわる。
「空、とびたいねえ」
そうだねえ。
「こいのぼりの空、とびたいねえ」
あちこち、大きいこいのぼりや小さいこいのぼり、はためいている。
「つばめの空、とびたいねえ」
つばめ、とんでる。
「とんびの空もとびたいねえ」
とんび、とんでる。
「山の空もとびたいねえ」
新緑がきれい。
「おひさまの空、とびたいねえ」
「おつきさまの空、とびたいねえ」
「ぎんがてつどうの空もとびたいねえ」
そうだねえ。
「ああ、とびたい。とびたい」

それからとんでゆくが、またすぐにすわる。
「こんどは、こっちでかんがえるんだ」
どうぞ好きなように。
はやくつれてかえろう、という気はもうとっくになくしている。
ああ、いい天気。
「ね、なにかんがえている。ねずみくんは、きみだけど、でも、ねずみくんは、ぼくなんだ。きみはきみだけど、きみはぼくなんだ」
ちびさん立ちあがって、カエルくんとねずみくんのやりとりの、ひとりしばいをはじめている。たぶん、絵本、見開き2ページ分ぐらい。
それから、
「かんがえが、まとまった」
と、はねてゆく。

それからまた、次の角ですわりこむ。
「ママこっちにおいでよ。こんどはこっちで、かんがえるんだ。ぼくもっともっと、かんがえるんだ」
自由にどうぞ。
「あおい空、とびたいねえ」
そうだねえ。
「ピンクの空もとびたいねえ」
ピンクねえ。ゆうやけなら、まあ、ありか。
「きいろい空もとびたいねえ」
うーん、それはパス。
「はいいろの空もとびたいねえ」
くもりの日かな。
「くろい空もとびたいねえ」
夜ですかね。
「ああ、とびたい、とびたい」
最後は、ものすごいいきおいで、走ってかえったけど、うーん、10分の道のりにたっぷり30分。

いいんだ、天気いいし。
「とびたい、とびたい」