服を切る

夜、ちびさんがシャツの一カ所をしつこくさわっているから、どうしたのだろうと、見てみたら、穴が開いている。まだ新しいシャツなのに、なんで?
「はさみ」と言う。自分ではさみで穴、開けたらしいのだ…!
「なんでそんなことすんのよ」
「だって、Kくんの服に穴があいてたんだよ」
「……。」
私ならいざ知らず、Kくんのママが、子どもに穴の開いた服を着せるとは思えないんだが、Kくんの服に穴があいていたかどうかはともかく、ちびさん服に穴をあけるということをしてみたかったんだな。

おさがりでもらった服ならいいが、これはお婆ちゃんが買ってくれたまだ新しい服。きみが着れなくなったら、Dくんにあげてもよかったし、Sくんにあげてもよかったし、フィリピンにもっていったら、お友だちのクリスマスプレゼントにもなった服。
穴なんかあけたら、だれにもあげられないし、もちろん売りにもゆけないし、捨てるしかないじゃないか。それはもったいないっていうのよ。なんでそんなもったいないことすんのよ。

と私にまくしたてらして、ちびさんしょんぼり「ごめんなさい」を言う。でもたぶん、「ごめんなさい」とは思っていない。

さて、穴のあいた服。つくろわねばならん。とっといた端切れひっぱりだしたら、生地も違うし、とても服に似合うとは思えないんだが、飛行機のプリントをアップリケするという。
ので、ミシンを引っ張りだしたら、ミシンが、絶不調だ。糸がからんでもつれてぐちゃぐちゃ。しょうがないので、分解して埃取りして、えっらい時間がかかった。

帰ってきたパパに、どうして穴あけたのかと訊かれて、ちびさん答えた。
「だってぼく、服に飛行機がついたらいいなあと思ったんだよ」
違うだろっ!

パパが大笑いする。「ママそっくり!」



アスペルガーの本を読んでいたら、特徴のひとつに「後悔をしない」というのがあった。たぶん、自閉症の特徴のひとつであるイマジネーション障害からきていると思うんだが、こんなことしなければ、こんなひどいことにならずにすんだかもしれないというときも、「こんなことしなければよかった」とは思わないのだ。こんなことしなければどんなふうによかったのか、という想像力が働かないので、後悔のしようがないのである。

こんなことしなければよかったのかもしれないが、してしまったことは、せずにいられなかったことなのであって、たとえそれで悲惨なことになっているのだとしても、途中の行動を後悔するというふうにはならないし、反省を促されてもそもそも何を反省すればいいのかわからない。それでぼうっとしていると、人の話を聞いてないとか、ひとをばかにしているとか、なまいきだとか、のぶといとか、いろいろ言われるわけだ。(昔、教師と大喧嘩したときのことを思い出すよ。あれは何を反省しろと言われているのか、理解できなかったのだ)

途中の後悔とかで、踏みとどまれないので、追いつめられると、一足とびに「生まれてきたのがそもそもまちがいだ」とか「存在は罪悪であろう」というふうに考えてしまう。
だから、もしそうなってしまったら、何よりまず、どんなに悲惨であっても「生まれてきたのが間違い」ではなく「存在は罪悪」ではない、ということを、信じさせなければならないのである。それができなければ、アスペルガーを含む自閉症の人間に、説教などはできない話なのである、と思う。



ということで、服に穴なんかあけなればよかった、とちびさんの後悔を期待してもしょうがないので、これは反省すべきことなのだ、ということを理屈で教えて、「これからは、服に穴をあけません」ということをしっかり約束させて、この件おしまい。「これからは」が大事よね。

この服、もう誰にもあげられないから、それこそ穴が開いてしまうまで、着てくださいね。