金色のライオン

川村カオリ、という歌手が死んだ。38歳。若すぎる。
ひとつの曲だけを、私は覚えている。金色のライオン。
昔、90年か91年頃、近所に住んでいた年下の女の子が、よく聞かせてくれた。

私が大学2年のとき、下宿先の近くに住んでいた彼女は、そのときまだ中学生だった。それから私が引っ越したあとも、なんとなく親しくしていて、そのうち彼女は高校も卒業して専門学校生になった。

そういえばその専門学校で、ジャーナリストの土井敏邦さんが講師をしていて、それで一度、何かの講演会だったかしら、インドやパレスチナの話を聞いた記憶がある。パレスチナの話を聞いたのはあれが最初だ。

彼女はお母さんとお婆さんと暮らしていた。お父さんは日本人だったが離婚していて、彼女は韓国籍だった。国籍をめぐって、一世のお婆さん、二世のお母さん、三世の彼女、と受け止め方は全然違っているようで、母親と喧嘩したとかよく言っていた。

たぶん、そんなこともあって、ロシア人とのハーフの、同世代の歌手を、好きだったのかもしれない。あれは何だったのだろう、勉強会とか展示の準備とか、いろんなことを一緒にやった時期があって、よく彼女の車に乗せてもらった。車のなかで、かかっていたのが、川村かおり(そのころは名前、ひらがな表記だったと思う)だった。テープももらったような気がする。

私の下宿でビビンバを何度かつくってくれた。こんなに適当につくっていいのかというぐらい適当で、おいしかった。隣の部屋の中国人留学生も呼んで一緒に食べた。桜の時期に、桜の花びらもごはんに混ぜたんじゃなかったっけか。

それから私は東京に行き、彼女は、いつのまにか、驚いたことにアメリカで暮らしはじめていた。東京で会ったとき、アメリカだと、民族のことも国籍のことも、日本で考えるのとは全然違って、ほんとになんでもなくなるんだと、この解放感はうれしいと、そんなことを言っていた。

最後に会ったのは、たぶん広島だった。いつだったろう。彼女が住んでいた家のあたり、もうすっかり変わってしまっていたけれど、お婆さんとお母さんの暮らしも落ち着いているようで、安心した記憶がある。あれは、彼女はアメリカからひきあげたのか、一時帰国だったのか、それから今、どうしているんだろう。

日本にいれば、きっと使うことのない名前だろうけれど、
チョンス! 元気ですか?


↓ 川村かおり「金色のライオン」91年頃の。