フィリピンから

帰ってきました。

3日月曜の朝、家を出るときは日の出を見て、何度乗っても私は飛行機はこわいのだけれど、ルソン島上空では虹がかかっているのも見て、幸先がいい、と思った。
空港にジュリアンとディヴィドが迎えに来てくれていて、パヤタスへ。

滞在の間、学校と子どもたちについて必要な取材をする。簡単なことはひとりでできるが、込み入った内容は、留学生に通訳を手伝ってもらった。(伸くん、ありがとう)。パアララン・パンタオの幼児教育(基礎教育)について細かい話も聞く。すでに何度も聞いたことも、また新たに聞いてみることで新しい側面も見えてきて、かなり有意義だったと思う。

ダンプサイト(ゴミの山)には、雨でのぼれなかったけど、緑化をすすめているらしいもう片方のゴミの山にのぼって、眺めることはできた。

学校の会計報告やあれこれの書類も、出発予定の金曜の朝までかかったけれど、レティ先生とグレースがきちんと揃えてくれたし、まず申し分なかった。

で、帰国予定の7日金曜日の早朝。
グレースが、台湾に台風が来ているからフライトできないよ、と言う。でもグレースは、これまでも毎回、台風が3つ来ているから飛べないよ、とか、超大型台風が来ているから帰れないよ、だからアテ・カズミはずっとここにいるんだとか、いうようなジョークを10年も前から、飽きもせず言い続けているので、今度もそんなことだと思っていたら、本当に台風で飛ばなかった。
グレースの言ったことがついに本当になったよ。

一度私を空港に送ってくれて、パヤタスに帰る途中のディヴィドが、また引き返して迎えに来てくれる。マニラは、とりわけ雨の金曜日、渋滞がすばらしい。

朝6時半にパヤタスを出て、12時半に帰ってきたら、「Welcome! Back Ate Kazumi!」の貼り紙がドアに。これはレティ先生の字。

日本に住んでいて、休暇で帰国しているアルが、チャイナエアラインに電話してくれて、夜10時のフライトになったことを確認。
それからお昼ごはん食べて、マンゴーも食べて、水浴びと昼寝をして、子どもたちのクラスで一緒に絵の具遊びもして、今度はジュリアンと友人が送ってくれて、また空港へ。

ところが、飛行機は飛ぶのだが、「日本へのフライトはないから、明日の朝の便にしなさい、あなたはキャンセルだ」と言って、チケットを出してくれない。
でもあとで、ジェイの奥さんのカティが電話で確認してくれたところによると、私はキャンセルにはなっていなかったという。つまり乗れたのだ。
台北から広島までは翌朝飛行機が飛ぶと言っていたのに(そして実際飛んだのに)なぜ、チケットを出してくれなかったのか今もわからない。

こんなこともあろうかと、空港の外で待機していたジュリアンたちに連れてもらって帰る。
夕方5時にパヤタスを出て、夜10時にパヤタスに戻ったら、「Welcome! Back Ate Kazumi! again!」の貼り紙がドアに。これはグレースの字。

マニラの渋滞を堪能した一日だった。
ビール飲んでバロット食べて、寝た。

昨日、8日土曜日の早朝6時、ジュリアンと友人が、また車で空港まで送ってくれる。すでに2回も追い払われているので、また追い払われても驚かないような気がする。長い列につく。
無事にチケット出してもらえて、フライトできることになったけど、台北空港で、またトラブル。チケットに記載されたゲートナンバーが間違っていて、それに気づいたのがフライト時刻の直前で、広い台北空港を走った走った。心臓が破れると思った。

夜8時半、広島空港到着。パパと子どもが迎えに来てくれていて、そうか、これが私の家族か、とすこし新鮮だった。向こうにいた間は、忘れていた。

マニラは、滞在中、ずーっと雨、ときどき台風みたいな激しい雨、学校も雨洩りしていた。夜は、トタン屋根を打つ激しい雨の音と、後ろの道を走るゴミのトラックの音、天上あたりを走るヤモリがキュキュキュキュと鳴くのを聞きながら寝た。
まるで水の底で暮らしているみたい。竜宮城って、もしかしたらこんなふうな雨季の南方世界のことだよ、と思った。浦島太郎って、南国に漂着した人の話だと思う、きっと。
竜宮城のみなさん、ほんとうにありがとう。

日本も雨なので、竜宮城のつづきなのだ、と思うことにする。