髪を切る

小学校1年のころ、髪をさわられるのがものすごくいやだった記憶がある。クラスの女の子で、なぜか髪をさわりにくる子がいて、それがすごくいやなのに、いや、という自分の気持ちに気づかないうえに、自分の気持ちを人に言う、ということもできない子どもだったので、やめて、とも言えず、我慢していて、すごくつらかった。名前おぼえている、まりちゃん。
まりちゃんに悪気があったわけではもちろんないし、彼女をきらいだったわけでもなんでもないが、クラスが変わったときには、とってもほっとした。

昔ほどではないが、今でも髪をさわられるのは好きではなく、美容院なんておそろしくて行けない。行きたくない。

小さい頃は、弟と一緒に近くの散髪屋に行かされたこともあったが、たいてい母が切ってくれていた。母が死んだあとは、自分でじょきじょき切っていた。それがあんまり無残だったので、一度先輩が美容院に連れていってくれたが、時間がかかるのもお金がかかるのも「どうしますか」と聞かれるのも苦痛で、それからはやっぱり自分でじょきじょき切った。
ときどき、友人が切ってくれたり、バイト仲間だった美容師の卵が練習台変わりに切ってくれたり、バイト先のママが切ってくれたり、パヤタスでレティ先生に切ってもらったこともあった。

パヤタスでは、以前、集落の入口にバクラ(おかま)のマニがやっていた散髪屋があり、彼が十数年前に病気で死ぬまでは、何度か彼に切ってもらった。早くて安くて、「まかせとけ、最新のスタイルにするから」とマニが自分の好きなように切るので、どうこうしてほしいと言わなくていいのが気楽だった。
マニが死んだあと、フィリピンで新しくできたショッピングセンターのなかの美容院に一度行ったことがあるが、髪も洗ってくれてあれこれあれこれ丁寧で、とっても時間もかかってそれなりに金もかかって、ああもういやだ、やっぱりいやだ、と思った。

あれが、美容院に行った最後、か。10年ほど前だ。

美容院に行け、とパパがたまに言うんだが、いやだ、と言い続けていたら、1000円でカットだけしてくれるところがあるからと、自分がいつも行くところに一緒に行こうという。髪を切るなんて、洗面台に新聞紙ひろげて、じょきじょき切れば5分ですむことに、1000円だって使うのはもったいないし、その1000円をへそくりさせてくれたほうが私はありがたい。行かなかったし、パパもあきらめたと思っていたのだが。

この数日前から、1000円カットに行け、とパパがあんまりしつこく言うので、うるさいなあ、いったいなんなんだ、と半分きれて問い詰めたら、町内会で(パパは役員をしている)、どこかのおばさんが「奥さんは美容院には行かんのかねえ?」などと言ったらしいのだ。行きませんねえ、とさらりと答えはしたが、奥さんを美容院にも行かせない夫、ということに自分はなってしまうのかと思ったかどうか知らないが、その言葉が心臓に刺さったらしい。

まったくどこのおばさんか知らないが、余計なことを言ってくれる。

それで昨日、1000円もって髪切りに行った。10分で終わるよ、とパパは言ったが嘘つけ。30分かかった。
ばっさばっさ切ってもらった。ああ、でもこれくらいの簡単さなら、1年に2回か3回くらいは来てもいい。
散髪屋は絶対いやだと泣くうちのちびさんも連れて行って、すこし慣れさせなきゃいけないし。ちびさんに飴くれたし。