宣伝文句

「真実への要求は、魂のいかなる要求にもまして神聖なものである」それゆえに「虚言の組織化と混同視されるようになるとき、ジャーナリズムは犯罪を構成する」

「宣伝は霊感を目覚めさせることを目的としていない。逆に、霊感が通りうるいっさいの穴を閉ざし、塞いでしまう。そして魂を狂信でふくれあがらせるのだ」
                  ヴェイユ「根をもつこと」


それが「宣伝」にすぎないか「現場」の話であるかは、注意深く聞けばわかることだ。でもその注意深さが、難しいらしい。

思い出すのは、過去にパアラランで失敗したプロジェクトのこと。「自立支援」のために、ミシンで製品をつくって売る、その収益で学校も運営する、というプロジェクトが、日本の人たちによって考えられていた。94年、はじめて学校に滞在したときに、その話を聞いて何か不安になった。
学校に滞在してゴミの山にのぼって一週間過ごしていて、それは現実にそぐわないような気がする、という印象だったのだが、プロジェクトはもう動いていて、日本で寄付が集められているらしかったし、私は関わる気はなかったし、細かいことは聞かなかった。
翌年訪問すると、プロジェクトは失敗していた。寄付で何台かのミシンがきていたが、それだけだった。ミシンを買ったらお金がなくなって教師も雇えなかった。日本からお金がくる、というので期待した住民たちが、けれど自分たちに何もいいことがないので、お金はレティ先生がひとりじめしているのだろう、と噂しはじめ、教師たちは学校の物品を盗んでいなくなった。
それでも子どもたちがくるから、電気代も払えないなか、レティ先生は学校をつづけていたのだ。

あとで検証すれば、それはもう、現場の見えてないプロジェクトとしか言えないお粗末さだった。「自立支援」の謳い文句だけがあって、ミシンを買えばなんとかなる、としか考えていなかったに違いない。
何をつくって何を売るか、だれが働くか、技術はあるか、レティ先生の側にイメージはあったが、それに金銭が必要だということを、支援する側は思いつかなかったらしい。日本で協力した人たちも「自立支援」の言葉だけ信じて寄付に協力して、その内容を検証していない。

プロジェクトが失敗したとき、その責任をとる人はいないのだ、ということを、あのとき、したたかに思い知らされた。たぶん責任をとる人がいないから、失敗なのだ。
失敗したら、みんないなくなる。それだけ。
どこにもいなくなることのできない、現地の人だけが、苦しみのなかに取り残される。

知らないふりはできないので、「自立支援」の忌まわしい宣伝文句を捨てて、「学校の支援」に切り替えて、支援グループたちあげて、なんとかやってきたんだけれど、自立支援に関わった人たちで、その失敗を直視する勇気のある人はわずかだった。
失敗の原因は、計画のずさんさであり、「自立支援」などと言いだしてプロジェクトを支援した側の失敗であったのに、支援した人たちは、現地のパアラランの失敗と思ってそれ以上の支援をしようとはしなかったのだ。

たかだか100万か200万程度のプロジェクトの失敗である。けれどあのとき現場がどれほど傷ついたかは、思い出すと胸が痛い。その後始末に奔走して、なんとか学校の運営が軌道に乗るまでの、最初の数年のあのしんどさは。
ミシンという品物は残ったし、協力した人の善意を思えば、あんまり失敗とも言いたくないんだが、15年間、使われずにしまわれているのが現実。
地域の状況もずいぶん変わってきたので、もしかしたら、そろそろ、ミシンを使って、地域の経済活動に結びつけることもできるようになるかもしれないけど。


 
そんなわけで「自立支援」などという宣伝文句がきらいです。およそ宣伝文句になってしまったら、言葉はうさんくさくなる、と思うべきだと思う。

今度の「政権交代」がすごくうさんくさく思えるのも、それが最初っから宣伝文句として流通しているからだわ。なぜそれが必要なのか、という「現場」とのつながりは、具体的にはまったく示せていないと思う。

最悪なのは、財源を示さないのか示せないのか、明確でないことだ。どうにかなると思っているのか知らないけど、それが曖昧であるというのは、もとよりインチキだということだし、プロジェクトは失敗するに決まっているし、不誠実で無責任で、何より人をばかにしていると思う。
政治だから話は別なんてことは、ないと思うけどな。なんで、財源も明確にしないで、平然としていられるのか、神経を疑う。

以前、日本が支援してくれる、ということはいくらでもお金はあるのだ、とゴミの山の人たちに思わせたことは、残酷だったし、いま支援の現場で、毎年私が言い続けていることといったら、いかにお金がないかということばかりだ。これだけのお金しかないから、これだけでやってください、ということ。お金のことはものすごく神経をつかう。神経をつかっていれば、多少の変動はなんとかのりきれる。でもそこがいい加減になったら、全部が壊れると思う。

ああ、お金。
フィリピンへ行った旅費がいったし、アマゾンで本買いすぎたし、パパから借金の申し込みがあるし、ガス屋さんは、ガスレンジの交換はいつしてくれるのだろうと毎月やってくるし(レンジ、すでに壊れかかっているのだが)夏になったら、とか秋になったら、とか言って待たせてるけど。

昔、兄が、金貸してくれとやってきて、ない金もってゆくときに「そのうち2倍にして返すよ」と言ったけど返ってくるはずないし、パパは「わしはそのうち金持ちになるのに、いまわしに金貸さないで、いつ貸すんだ」とか言うけど、政治も男たちもほんとにうさんくさいわ。