なんでもないのに

なんでもないのに、難しいことってある。
昨日の午後、来月の展示の準備に、友人が車でうちまで来てくれた。
写真を選んだり、資料をコピーしたり、印刷した写真を台紙に貼る、というだけのことなのに、ひとりでは全然、とりかかることもできなかったのだ。ほんとに何でもないことなのに。
でも彼女が来てくれて、これだけあれば、間に合うだろう、という程度には、展示物の準備できた。
残りは、日程が迫ってきたら、ひとりでもできるだろう。
ああほっとした。ああ、ほんとにありがとねー。

なんでもないのに難しいことといえば、私の場合、まず電話。
電話がきらい。かかってくるのは大丈夫だけど、かけるのは、苦手。メールでことがすむようになってからは、電話嫌いにますます拍車がかかり、月の電話代、通話料なんて何十円だもんね。
田舎の父にも年に一回ぐらいしか電話しないから、電話する度に、「まだ生きとったか」と言われる。でも父も、電話しない人なので、お互いさまではあるのだ。

問題はメールなどを使わない年配の知人である。先日も「どうしたのよ。うんともすんとも言ってこないで」と、東京にいたころの知人から電話がかかってきた。あー、でも夏に電話で話したばっかり、と思うのは、私のほうの時間感覚で、3か月も音沙汰がない、と向こうは思うらしかったのだ。あー、もう電話をかける習慣がなくなっていて……、といってみても、言い訳にしかならないみたいで(でも向こうは、電話代が大変だから長距離電話しないのだろうと勝手に思ってくれたみたいで)、電話ができないんなら、手紙でもよこしなさい、と言われて、そういえばほんとに手紙を書かなくなった、と思った。

用件の明確な手紙はたくさん出すけど、とくに用件のない、おしゃべりのような手紙は、まったく書かなくなった。でも求められているのは、おしゃべりのような電話であり、おしゃべりのような手紙である。

で、おしゃべりのような手紙を書く。

むかーしむかーしは、電話嫌いにもかかわらず、おしゃべりのような電話とおしゃべりのような手紙を、友だちと思っていた人たちとの間にしきりに行き来させたこともあったような気がするんだけど。
(そういえば、恋に落ちたときと精神を病んだときは、はげしく電話魔だった)

さてそれで、さしあたって、電話をかけなければいけない要件が2つほどある。なんでもないのに、ほんとになんでもないことなのに、ぎりぎりまでかけられないんだな、これが。

たぶん、電話がかけられないせいで、失っている信頼のひとつやふたつはありそうな気もするけど、そのあたりの他人様の感情は、推し量り切らないところでもあって、ああ、ごめんなさい。