情と言葉

昨日の日記を書いたあとで、考えた。
もしかしたら義母さん、何か私に言いたいことでもあったろうか。
思い当たらないので、たぶん直接どうこう、言われたわけではないのだと思う。もしかしたら、遠まわしに何か言っていたのかもしれないが、婉曲、思わせぶり、遠まわし、などは、私はさっぱり理解できんので(アスペルガーの特徴であるらしい)、もしもそのように何か言われていたらわからない。

むかし「あなたほど、話の通じないひとはいないよ」とひどく憎まれて言われたことがあったが、何を言われているのかわけわからなかったが、そして、わけわからずにいることで、さらに憎まれたが、いまは分かる。
話が通じるように、わかるように話してくれていないから、通じないのだ。あんなあいまいな言い方で、万事察しろというのは無茶である。
少なくとも、外国人と会話する程度には率直に具体的にものを言ってくれなければ、会話の意図を理解するのは難しい。

義母さんがとても心配しているようだよ、とパパに言ったら、「それが元気の源なんだからいいんだよ、母親はそういうもんでしょう」とあっさり言われた。ああ、そういうもんですか。

それで思い出した。
母が死んだあと、父の食事や洗濯の面倒は祖母がみていた。祖母が父の家に来ていたり、父が祖母の家に通ったり。
それでもう80歳ぐらいになっていた祖母は、私の顔を見る度に言うのだった。「わしが生きとる間は、父ちゃんの面倒みてやれるが、わしが死んだら、だれが父ちゃんのご飯つくってやるのか。」
自分でつくればいいのである。
と私は思うのだが、祖母はそんなこと、聞く耳もってない。
祖母からしてみれば、女の子は家族のために家事をするのがあたりまえなのだ。
祖母の望むようには存在できない私は、祖母に対してうしろめたい。祖母にしたって、顔を見ても文句しか言うことがないのだし、それなら顔を見せないほうがいいだろう、と思い、帰省しても祖母の家に行かなくなり、そうするうちに10年が過ぎた。そのころには90代も半ばになった祖母のかわりに、叔父がご飯をつくるようになっていた。

もしもあのとき、弟がたまたま帰省していて、婆ちゃんのところに行こう、と私をしつこく誘わなかったら、行かなかったな。
10年ぶりに祖母に会うと、祖母は私の顔をすぐに思い出せなかったが、思い出すと、はらはらと涙をこぼして、私の手を握って「生きとるうちはもう会えんかと思うとった。よう来た。よう来た」と泣くのである。
思わず、こちらも泣きそうになったが、ひどく混乱してもいた。
祖母のまえに、(けっして祖母の望む娘にはならない)私はあらわれてもよかったのか?
では、あらわれなかった私は、この祖母の、肉親の情というような部分を、傷つけていたのだろうか?

祖母が亡くなる前年のことだ。死ぬ前に会えてよかった。
たぶん、よかったのだろう。

そういえば、「わしが心配かけるから、婆ちゃんは長生きができる」と父はうそぶいていたな。

たぶん、情と言葉のからみあう部分の理解が、私はほんとうに難しい。