お喋り

昨日、就学時検診で、列になって並んでいたら、私たちの前にいた別の幼稚園の女の子たちがにぎやかに喋っていた。
「○○くんは、△△ちゃんがすきなのよ」
「でも△△ちゃんは、□□くんのほうがすきかもよ」
「えー、わたしは、□□くんがだーいっきらい」

ぞーっ、とした。
いや、ありふれた子どもの景色じゃあるんだろうが。

そうして、いきなり理解した。
こういう女の子たちというのは、中学生になってもおんなじことを喋っていて、50歳のおばさんになっても70歳のお婆さんになっても、おんなじことを喋ってるのではないだろうか。

昔私が、中学校の教室で、まわりの女の子たちが何をそんなに楽しそうに話しているのか、わけがわからなくて、しょうがないので、ひとりで本読んで休み時間を過ごしていたときの、女の子たちのおしゃべりが、まったくこんな感じだった。

すきとかきらいとかが、はっきりわかるというのが、そもそもわかんないよ。

女の子たちのおしゃべりは、うっとうしい。この手のおしゃべりは、5歳だろうが、15歳だろうが、70歳だろうが、いやもううっとうしい。生臭くてかなわん。

うちのちびも、うっとうしい。トムとジェリーの話や、電車や飛行機や畑の話を、一日じゅうひっきりなしに喋ってる。「うるさい、だまれ」と毎日何度言うことか。
しかし、この女の子たちのおしゃべりよりはましである。

女の子たちの、というか、女たちの、というか、こういう生臭いおしゃべりは、ほとんど生理的にいやです。
つきあわされると、気分が悪くなる。
こういう女の子たちの母親になるのは、いやだな。たえられんだろうな。

私は、自閉症の男の子以外の子どもはいらん、と思った。



ところで検診の結果に異常はない。
耳もよく聞こえている。まあ、それはわかっている。
呼んでも呼んでも呼んでも返事しないが、菓子の袋をかさかさとあけると、とんでやってくる。「りくを捨てて、りすの子どもをもらおうか」と子ども替えの密談をひそひそとしていると、「いやー、それはやめて」と抗議しにくる。
聞えてはいるのだ。

朝、おじいちゃんがくる。おじいちゃんは、ひっきりなしに孫に話しかけて、会話というものをしようとするが、あんなにおしゃべりな子が、まるで聞こえてないかのように返事をしない。

ごく自閉症的態度ではあるんだが、むろん義父さんはそんなことは認めないので、りくは立派なのに、まわりが扱い方を間違えている、というのである。

そこで意見など交わそうとしたところで、怒らせるのが関の山なので、私も聞こえないふりをする。

おもちゃの電車がなんと喋っているのか、おじいちゃんに聞かれたときは、返事しなかった子が、おじいちゃんがいなくなってから、「ママ、これは出発進行っていってるんだ」と言う。
おじいちゃんが聞いた時に答えてやれよ。
それくらいのことはしてやれよ。
それくらいのことで喜んでくれるんだからさ。

どっちもどっちの不器用さ、(ということにしておこうか)。

お喋りというのは、難しいや。ほんと。
(疲れているかも。わたし)

ちび連れて、畑にでも行ってこよう。