貧困と孤立のゆくえ

ETV特集、働く人の貧困と孤立のゆくえ、をみた。
胸が痛くてならなかったが。
私もそのなかにいたのだ。20年ほども。
バイトさん、しか、したことがない。

もちろんそれは現在のような派遣制度の問題ではなく、きわめて個人的な問題、なのだろうと思う。どうすれば就職などというものができるのかわからなかったし、オフィスでたくさんの人のなかで働くことに耐えられなかったし。
みんなそうやって働いているのに、どうしてあなたはできないのってきかれてもわからない。そのころは、自分がアスペルガーかもしれないなんて知らないし、たくさんの人のたくさんの感情のからみあうなかで、いらないお喋りなんかしながら、どうして精神がおかしくならずに毎日働けるのか、そのほうが私は不思議だった。

でももちろん私だって働いた。バイトさんはたいてい、いつも一番忙しいところにまわされて、給料は職員さんの3分の1以下。でも、そのことに不満なんかもったら、みじめでばかばかしくて働けない。ほかに生きていく術もない。まわりなんか見ないことである。与えられた仕事だけ見ておくのだ。朗らかにしているのは、そうしなければいつでもクビ切られるからでもあるが、どうせあなたたちは、バイトのことなんか思いやる気はないだろうと、絶望し拒絶しているのです。せめて自分の良心を守るために、仕事はまじめにする。

1日3回ごはん食べてなかった。20年間そうだった。1回か、よくて2回。文庫本1冊買ったら昼ごはんはないや。単行本を買ったら、夜ごはんがない。ひもじいのは、たばこで紛らわした。200円で1日もった。いまお金があるからといって、3回食べたら、食べられなくなったときにつらい。1回でも大丈夫なように、自分を慣らしておかなければ、と思っていた。そうして、慣れるものなのだ。
ときどき、ひもじくて、立ち上がれなくなったり、した。

バス代、電車代を使うのがつらくて出かけられない。だいたい出かけると体力消耗するので、できるだけ動きたくない。役所も病院もいくらかかるかと思ったら、おそろしくて行けない。でも自分の貧乏は自分の責任だから、だれに相談することとも思わない。助けてもらえるとももちろん思わない。家賃が払えるかどうか不安になって、一度買い物かごに入れたものを、また全部戻してまわる、なんてことはよくあった。

そういう生活をしていると、結婚とか子どもをもつこととか、考えられない。どこの世界の話かと思う。あこがれもしない。将来のことなど考えられないのだ。人にあれこれ聞かれてもなんて答えればいいんだか。わかんないと答えたら、刹那主義とかそんないいかげんなことじゃいけないとか、説教されたりするし。
だいたい、そうでなくても感情の理解がむずかしいのに、男たちの感情も、女の子たちのおしゃべりも、ほんとうにわけわからなかった。ああ、あんなわけのわからない世界を、私はよく死にもしないで生きてこれたと思うのだ。

だれがご飯食べさせてくれたか、だけわかる。どんな思惑だったのかはどうせわかんないから、詮索しないでおく。食べさせてくれた人たち、ありがとう。

遊びに行くと、お菓子を出してくれて、ひもじいので、出されたお菓子を全部食べていたら、「おまえは菓子を全部食べるんだな。ふつうは出されたからって、そんなことはしない」と言われたことがあった。食べていけないのなら、出さなければいいのに。

番組みながら、ひもじかったな、さむかったな、と身体感覚が蘇ってきた。冬になって、さむいとひもじいがかさなると、みじめだというのはこういうことなんだろうな、とせつなかった。

で、そういうことを、過去形で思い出している私は、今ずいぶん落ち着いて暮らせているわけだ。
今だって、義母さんを際限もなく心配させる程度には貧しいのだろうが、貧しさの質が全然違う。毎日3回食べてるし、ときどき忘れて2回だけど。ケーキも食べるし。

子どももいるし。
「すごいよ。ぼくたちに子どもがいるんだぜ。電池入れなくても動くんだぜ」とパパは言う。うん、まったくすごい。ねじ巻かなくても、動くのである。

「愛してる。きみはぼくの心に火をつけた。ボッ(効果音)。それはけっして小さな火なんかじゃない。ポッ。燃えさかる大きな炎なんだ。ボッボッボボボッ。」
と、ママを抱きしめて言う男の子だよ。たまらん。
トムとジェリーにそういう場面があったのだ。

いま貧困と孤立のなかにいる人たちが、だれであれ、人間は幸福になれるのだということを、忘れないでいてくれるといいと思う。だれであれ。そして必ず幸福になってくれるといいと思う。

社会のなかで、うまく生きられる人たちは、うまく生きることのできる人たちだけが、幸福になれると思っている。それくらい料簡が狭かったりする。(だから、うまく生きられそうにない子どもが生まれたりすると、あきれるくらい簡単に絶望したり、無駄に悲観したりするのだ)

うまく生きられない人たちが、にもかかわらず、幸せになることが、本当はとてもとても大事なのだと思う。