NGOまつり

土曜の午後、フィリピン関連で、人に会う。フィリピンでのゴミ処理場の建設(肥料の生産)と植林の仕事の話など聞く。フィリピン国内で、フィリピン人の雇用を増やすかたちの経済活動について、ユニークな取り組みをしているようだ。倫理とエコと収益とボランティアを結びつけていける経済活動のありかたが模索されていることが、とても面白いと思った。いろいろネットワークができていけるといいかも。
ちびさん、退屈でじっとしていない。落ち着かないことではあった。

日曜は早朝から、平和公園
公園内の国際会議場で、NGOまつり。展示とバザーの店出し。
その間、パパとちびさんは、宮島へ紅葉を見に行った。大変な人出だったらしい。

ゴミの山で子どもたちが働いている写真だとか、残飯を食べている写真だとか、麓のバラックだとか、展示していたら、年配の人たちが、いろいろ話しかけてくれる。「戦争が終わったあとは、日本もこんなだったよ」とか、「ゴミでも拾えたらいいわよ。原爆落ちたあとは、拾うゴミもなかった」とか。
「いまの子どもたちに言いたい。ただいまと言って、おかえり、とこたえてくれる家族がいたら、しあわせなのよ。それだけでどれほどしあわせなことか」と話しかけてきたお婆さんがいた。「原爆のあと、何千人もの子どもが孤児になった。疎開先から歩いて帰ってきたら、家も家族もなんにもない。そんな子どもがたくさんいた。私も原爆の生き残りだけど、希望なんかなかったわよ。全然ない。75年草木も生えん、と大人らが言いよったが、そこに草が生えた。草が生えたことが、希望になった。」
ああ、ここは広島なんだなあ、と思った。

ほかのグループをのぞいてまわる余裕(という気力というか)がなかったんだけれど、劣化ウラン弾で癌や白血病になったイラクの子どもたちの写真は、肺腑をえぐられる思い。顔や体が、醜くふくれたり歪んだり、病んで奇形になった子どもたちの。直視にたえないが、直視しなければならないものだ。

バザーはまあまあ売れたんではないだろうか。単価の安いものが多かったけど、客足がたえないのは、楽しい。手伝ってくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。