さらにつづき

書いたついでに、ことの決着もつけるべきだなあ。
と思って調べた。

↓に引いたあたりでいいと思う。

http://164.46.142.14/forum/bingoohrai/robouta/old/162/index.html
http://164.46.142.14/forum/bingoohrai/robouta/old/164/index.html
http://164.46.142.14/forum/bingoohrai/robouta/old/165/index.html
http://164.46.142.14/forum/bingoohrai/robouta/old/166/index.html
http://164.46.142.14/forum/bingoohrai/robouta/old/167/index.html

つまり、盗作疑惑は、豊田清史のいいがかりという結論。
で、年配の知人(歌人だ)にこれを伝えなければいかんだろうなあ。やや気が重い。

で、豊田さんの文章を、ああ広島だ、と思ったのは、ありていに言えば「被爆しとらんもんになにがわかる。よそのもんが被爆のこと書いて身すぎ世すぎするな」というむきだしの感情を伝えてくるからだろう。あんまりひどいので引かなかったけど作家を攻撃するめちゃくちゃさも、被爆を背景にしてひとを説得してしまう奇怪。
広島エゴとか被爆者エゴとか、書くとまた問題ありそうだが、そういうところからでてきた奇怪なというか、むしろ当然な盗作疑惑だと思う。

『黒い雨』は『黒い雨』だし、盗作でも何でもいいんだが、当事者にとってはどうでもよくないだろうし、もちろんそうでないほうがいいので、疑惑晴れてよかった。

「そんなもんじゃない」とか「なにがわかる」とかの感情の次にくるのは、沈黙、うまくいけば恩寵と蘇生、さもなければ他者への憎悪だけど、悲惨な現場にあるのはそのようなものだ。
悲惨な出来事が、人間の心に残していく悲惨。そういう内なる悲惨に、じかにふれてしまったみたいな文章だった。
それを、人品の卑しさがどうとか、批評するのは自由なんだが。良くも悪くも被爆の落とし子ではあるんだろう。 
で、やっぱり作家はののしられてもしょうがないのだ。
被爆してないくせに原爆のことを書くから。
そういう論理。
で、誤解のないように書いておくと、ののしられる作家はえらいのだ。
 
藪の中みたいだけど、こういうのも。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/inosenaoki.html