就学相談

朝、市役所の別館まで行く。教育委員会特別支援教育室の相談センターに、就学相談。
一時間ほど、あれこれ話したり、子どもの様子を見てもらったり。書類の記入もあったが、ちびさんの生育過程、いつ首がすわったか、とか、いつ歩きだしたか、とか、指さしはいつか、とか、言葉は、とか、ほとんどすべて忘れている。母子手帳めくってわかることだけ記入した。

ちびさん、先生とお話しながら色塗ったりお絵かきしたりした。
「こういうお子さんは、楽しいでしょう」と先生が言う。
ええ、そりゃもう。とても。
「私もこの仕事をしていて、本当に楽しいです。いろんな子どもたちと接することができて」

ちびさんがかいた絵とか見ながら、「ずいぶん雑ではないかと、最近すこし気になるんですけど」と私が言うと、
「ええ、雑ですね」とあっさり。「そういう特性ですから」とにっこり。
そっか。私もそうなんだけど、特性なのか。
どうしましょうか、と言うと、
「それはもう、親がひとつひとつ、いっしょにやってみせるよりしょうがないです。線をゆっくりひく。色を塗るというのは、どんなふうに、はしっこまできちんと塗るのか、手をとって、いっしょにやらないと」

おお、そうなのか。
いまのいままで思いつかんかったよ。

このあとは、担当者が幼稚園に行って、子どもの様子を見る。その後、簡単なテストをする。その結果をもって、私たち親子と一緒に、就学予定の小学校を訪問する。授業見学、学校案内、校長か教頭との面談、という流れになるらしい。

「大丈夫です。年齢を重ねるにつれて適応力も出てきますから。ただ、集団生活のなかで傷つくことは多いかと思うので、自尊感情が低くならないように気をつけてあげてください。あとは、参観日などで、独特な面を見ることもあるかと思いますが、それはもう、楽しんで見てあげてください」

部屋に、すこしおおきめの三輪車があって、今日ちびさんは、はじめて三輪車に乗れた。小さいときは、ふつうの三輪車を漕ぐことができず、ペダルを漕ぐ、ということを理解したときには、幼稚園にあるふつうの三輪車はもう小さくて、漕ぎづらくて乗れない。で、乗れないままだったのだ。おお。

「大丈夫です。楽しんでください」と何度も言ってくれるので、字義通り受け取って、楽しい気持ちで帰りました。



帰り、病院に寄る。
近所のお爺さんが、昨日入院したので。もう長くないみたい。薬で眠っているので、病室には入らないまま。廊下の隅の長いすでパパとお婆さんと話している間、ちびさんと近くの机に置いてあった折り紙で鶴など折った。



年賀状みていたパパが、「きれいな字だなあ」としきりに感心したりしている。
「どうしておまえみたいなヤクザな人間のところに、こんなきれいな文字の、しっかりした文章が届くのか」などという。
うん、それは私も不思議だ。
きれいな字が書ける人はいいなあ、と永遠のあこがれである。
私の字は雑だ。
丁寧に書く、ということがむずかしい。

丁寧に、というのはどういうことかが、うまくつかめないというか、丁寧に、を考えると、では丁寧に何をしようとしていたかが、わからなくなる。丁寧に、よりは、何を、が優先されると思うので、丁寧かどうかにかまっていられなくなり、結果として雑なのだ。
理屈っぽく言うと、そんな感じだが、つまり雑なのだ。

子どものとき、お習字を習いに行かされたが、読めればことはたりるのに、なんであれこれこだわって書くのだろう、などと思っていたので、上達するはずもないのだった。



そういえば、ちびさんのはじめてのお習字は、自分の名前だった。
去年の終わりに、幼稚園で書いたらしい。