ふじこがいた部屋

2日に父に電話をした。
先月、年の離れた従姉の夫が死んだことを知らされる。68歳。
もうそんなになっていたのか。もう20年以上あっていないと思う。
娘のふじこ、脳性麻痺の女の子が17歳で亡くなって、その初盆で会ったことを覚えている。そのあと会った記憶はない。
従姉には、9年前、祖母の葬儀のときに会ったのだけど。
従姉の母、私の母の姉は、89歳でまだ生きている。目も見えず耳も聞こえないが、娘とふたりで暮らしている。
去年、従姉は、母と夫の両方の介護をしていたわけだ。「大変だったぞ。ひろみはえらかったぞ」と、父が言っていた。
 
子どものころ、正月になると、叔父が、一升瓶もって遊びにくる。それから私たち家族と叔父とで、従姉の家に繰り出すのだった。
3軒続きの平屋の長屋の真ん中の家。部屋にふじこが寝かされていて、(たぶん、ふじこがいて、従姉がどこにも行けないから、従姉のところに集まることになったのだろう)その横のこたつを囲んで、おとなも子どもも飲み続けたし、トランプだの花札だの遊び続けた。あんなに狭い部屋だったのに、隣の家の女の子がやってきて、私と百人一首するのに、札を並べるくらいのスペースがあったのは不思議だ。ときおり気分転換に、凧揚げした。
 
あの、にぎやかで、のんびりした光景も永遠にない。
 
故郷を離れたということは、ただ物理的なことでなく、思いのほかに遠い家出をしてしまったということだなあと、思う。
まあね、どんな場所にも再びは帰れないんだけれどもさ。
 
あの子ども時代のお正月の、にぎやかなのんびりした景色のなかに、ちびさんを連れていってやれないのはすこし残念だ。
お正月をパパと玩具屋に行くというのは、やっぱりなんか違う気がするんである。
 
昨日の「龍馬伝
言葉がなつかしかったな。ちがうけどすこし似ている。
「なんちゃやないき」と土佐弁は言うのだな。
「なんちゃやないけん」と子どもの私は言っていた。

なんちゃやない。