東京(パアララン篇)

16日朝、八王子の喫茶店に学生さんたち集まってくれる。持って行った12個入りのもみじまんじゅうが消えていたから、たぶんそれくらいの人数(ノートを見ればわかるんだけど)集まってくれた。
パアラランの支援をずっと続けてくれている大学の研究会の人たち。とはいえ、ひとりひとりにとっては、まったく未知の世界であり、新しい活動なのだ。パアララン・パンタオの20年間の、それから私たちの支援の16年間のあれこれについて、話す。

ボランティアとは、とか、環境問題が、とか、賢い人たちに身構えて聞かれると苦しいのだが(ほとんど逃げたくなります)、全然そんなこともなくて、みんな自然体で、でも関心はもって、先入観なしに話を聞いてくれるのが、とても話しやすくて、うれしかったです。

なぜ、この研究会にはいったの、と聞いたら、なりゆき、という人がほとんどだったのがおかしかった。
思えば、私がパアラランに行ったのも、支援に携わることになったのも、なりゆき。
大切にしたいなりゆきと思います。

さて、パアララン・パンタオは、去年開校20周年でした。たぶん。私の持っている一番古い資料には、1989年開校、とある(実際は87年から教えている)。ところがレティ先生、90年に開校したと、最近言っているらしい。しかも、学校の運営母体である隣人組合が認可されたのは92年だから、正式開校は、1992年だという。

ということで、開校20周年の記念のクリアファイルをつくろうと去年から企画しているのですが、まあ、2012年までになんとかなればいいんじゃないの、とのんびりしてました。
のんびりしてたのですが、ここにきて、なんだか動き出しています。子どもたちのかいた、かわいい絵の入ったクリアファイル。
ができる予定。

それで思いついた。16日の夜、『天秤 わたしたちの空』の出版記念の打ち上げに、装丁してくれたデザイナーさんが、来てくれるから、クリアファイルの制作の相談にのってもらおう。

とっても気持ちよく相談にのってくれました。
パソコンの操作のこととか、私はちんぷんかんぷんだけど、一緒にいてくれた美央ちゃんは吞み込みはやくて、「あなたかしこいね、あなたよくわかってる」とデザイナーさんもほめてくれて、というわけで、あとは万事、美央ちゃんにまかせればいいのだ。
デザインもきまって、一気に進みそう。

って、私がまず、絵を読み込んだり送ったりしなきゃいけないんだな。
春ぐらいにはできるといいなあ。
半分は配って、半分は売って、数年のうちには経費を回収したいつもり。

楽しんでもらえるものができるといいなと思います。