ルムペルシュティルツヒェン

ギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』読了。
面白かった。グラスが少年時代にナチスの親衛隊員だったことを告白して、話題になった自伝。ダンツィヒの子ども時代から、「ブリキの太鼓」を書き始めるまでの半生。
読みやすい。でも単純ではない。記憶のなかの「私」と、その私が生きているさまを見ている「私」の、あわせ鏡のような語りは、物語りの(つまり人生の)うさん臭さを、この作家がよく知っているからなのだろう。玉ねぎの皮をむくような語り方。物語ることがおのずから求める自己正当化の皮を、片方の私が、たえまなくむいていくような、面白い語りだった。

「もの書く者は自らを放棄するものだ」
というような言葉がさりげなく出てくる。

「何とうるわしい始まりだろう。だが、この始まりは、無名の詩人であることと、人知れず無垢でいられることの両方をも終わらせるものとなった。「ああ、私がルムペルシュティルツヒェンという名前であることを誰も知らないとは何とすばらしいことだろう」」
(ルムペルシュティルツヒェンはグリム童話に出てくる登場人物。自分の名前を知られて地団太踏んで悔しがる)

んー、おぼえられない。ルムペルシュティルツヒェン。