生きてさえいれば希望があります

香港が中国に返還される頃、「返還前の香港に行こう」と私は旅行雑誌に書いていた。コピーライターやっていたので。23年前なのか。新しい旅行会社や旅行雑誌がどんどんできていた頃(数年せずに、どんどんつぶれて、私は仕事を失くしたが)。

香港が返還されたら、どうなるのだろう。天安門事件のことはまず、頭に浮かんだし、中国が、もうそんなことはしない、と思ったわけでもなかった。でもそんなことは、誰も言葉にしなかった、ような気がする。
翌月、私は「返還後の香港に行こう」と書いていた。ホテルと食事とショッピングのツアーの内容は一緒だった。二泊三日、リーズナブルな香港の旅。

共産党は裏切るぞ、とは、何度も耳にしてきたし、あらかじめわかっていたことのような気さえするんだけれど、裏切らない共産党を見てみたかったけど。

6月の終わり、香港の周庭さんの書き込みを見かけた。特別な言葉ではないが、彼女の言葉として、記憶したい。
「生きてさえいれば希望があります」

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例年なら、夏休みの計画をたてて、飛行機のチケットを予約したり、帰省の連絡をしたりするころなんだけど。

何日前か、午睡の夢に、昔のバイト先のお店が出てきて、お店の人たちが、みんな満面の笑顔だった。目が覚めて、分かち合えたものが、そういう幸福感であるならばよかったと思ったし、ちゃんとお別れできた気がしたのだった。

皿を洗うとかキャベツを切るとか、そういうシンプルな仕事ができたことは、とてもよかった。

浦島太郎の私は、ある人の死を、1年以上もたって、知った。知人でもなんでもないんだけれど、昔読んだ、その人の文章を好きだった。

父の死によって気づかされたのは、もう、すぐに目の前に、誰彼の老いと病と死が迫っているっていうことだ。なだれるように来るだろう。私にとって「世界」であったものが、ぼろぼろ欠けてゆくだろう。成住壊空といいますが。

でもいまどこかで、誰かが倒れても、そこに行くことができない。会いに行くこともできなければ、別れることもできない。生きていてください。

豪雨被害。熊本、3年前に息子と一緒に旅したあたりの鉄道が壊れている。くま川鉄道田園シンフォニー。こんなに世界が壊れやすいなんて。