12月

12月。もう。
パソコンを開くのが、立ち上がりが遅くて、なかなかおっくうになっているこの頃。

兄から、冷凍のもつ鍋が届いたので電話した。コロナ以前に働いていた焼き肉屋のもつ鍋。四万十の牛もつ。大好きですけど、お店まだ行ってるのって聞いたら、辞めたけど、店の女の子(兄の言う女の子とは10代から60代くらい。70代以上だと、女の人、と言う)の家が農家で、米を安く売ってくれるので頼みに行ったら、もつ鍋があったので送ってくれたらしい。
でも、借金の返済はこの冬は無理だから、待ってくれって言う。待つも待たないも、無理というものどうしようもない。なんでも、職場の男の子(これも10代から60代のどこか)に貸したお金が返って来ないんだっていう。あの子も今、仕事が減って、収入がないから。っていう理由らしい。
ほんの数万円が、生活のぎりぎりのところで,まわりまわっているのらしい。

夏に死んだ従姉の埋葬代などにかかった費用は、私が持つから返さなくてもいいよって言ったら、いや返すって言うから、まあね、私もあんまりないから、返ってきたら嬉しいけどね、と言うと、そやろな、ぼくが返してないもんな、ないやろな、と言う。
それは、正しい想像力ですね。

思い出すのは、昔々、私が大学に入学するとき、兄の車に荷物のっけて、お船に乗って、瀬戸内海渡ったんだけど、船のなかで、兄がゆで卵買ってくれたんだよね。
その頃、兄は、借金まみれで、まわりは大変だったので、卵なんて買わなくていいから、その分、貯金するとか借金返すとかなんとかしてほしいよ、とイラっとしたんだったわ。ゆで卵の50円か100円で、なんとかなるような借金ではもちろんなかったんだけど。
今はまあ、もつ鍋より返済が先、などとは思わなくなった。もつ鍋はもつ鍋で、ありがとうございますです。

思い出したら、ゆで卵を食べたくなった。子どもの頃は、ゆで卵がおやつだったりしたのである。ところが、わが家は息子がゆで卵が食べられないので、私も全然ゆでなくなった。彼は、卵は卵焼きしか食べないのだ。最近になって、料理によっては、生卵もやや大丈夫になったから、ゆで卵も食べるかも。
と思って、ものすごく久しぶりに卵ゆでたが、ちょっと食べて、いらんと言われた。
私がふたつ食べた。

義母さんから電話があったのは数日前。義父さんが何か言ってきたら、知らせて、って言う。あの人は相談なしに勝手なことするからって。なんでも、近くに息子と孫が住んでいたのが、孫が就職して上京し、息子一人の暮らしになった。すると義父さんは、一人暮らしはかわいそうだと、義母さんに相談せずに、息子に一緒に暮らそうと言い、息子は家に帰ってきたらしい。
それはそれで、よさそうな話だけど、家事はやはり義母さんの仕事で、男たちの善意はなかなかひとりよがりのようで、「私は地獄」などと言う。
おばあちゃん、気楽にね、ぐらいしかかける言葉がないですけど。

昔、私の祖母が、ずっと叔父さんと暮らしていて、一番心配かけたのは自分だから、自分がばあちゃんの面倒は見る、と言って一緒に暮らしていたのだが、この叔父さんが、無口な人で、祖母は楽しくなかったのだろう。近所の人に愚痴るのに、叔父さんのことを「はよ死ね」と言っていたらしい。

さて、私はどんなふうなおばあさんになるんでしょうか。


こないだ、パパが目の手術をしたので、病院に行った。日帰りだけど、万が一、手術中に何かあったら、入院になるので、付き添いに行った。4時間も待合にいるのは、しんどかった。院内のコンビニに行ったら、パジャマだから入院しているのだろう、やせたおじさんが、アイスを買って食べていて、それが、飢えた人のような食べ方で、胸が痛んだ。具合が悪くてごはんがちゃんと食べられなくて、アイスを食べているのかしらと思って。
死ぬ前の父が、夏だったけど、かき氷ばかり食べていたなあと思い出したりした。

外来と入院病棟の間は、ビニールの壁ができていた。立ち入り禁止、面会禁止。

今日息子は数学の追試らしい。
考査、数学しか勉強してないのに、数学追試。数学に手をとられて、ほかを全然やってないから、それはそれでさえない。
でもあきらめてないから、えらいよな。文系だったら、どんなに余裕があって楽しいだろう、と言いながら、理系。
英検の準一級に一発合格したのは、驚いた。受験料をもう払わなくていいから、とても親孝行。フィリピンとのやりとりは、最近はもう彼にお願いしている。役に立つのだ。送ってもらったレポートの翻訳もしてもらったのだ。(でも日本語が下手すぎるので、あとで訳しなおしたけど)。

向かいの森も庭も、真っ赤。庭の紅葉はもう散った。あれこれと、とりとめのない師走。

f:id:kazumi_nogi:20201204182422j:plain