「座」の文学

11月21日の朝日新聞、短歌時評で、山田航さんに紹介してもらってました。

 

(短歌時評)蝦名泰洋の短歌観 山田航

2021/11/21 

 蝦名(えびな)泰洋・野樹(のぎ)かずみ『クアドラプル プレイ』(書肆侃侃房)は、2人の歌人によって紡がれ続けてきた「短歌両吟」をまとめた歌集。蝦名は1956年生まれで、長く地元青森県で暮らした。93年に刊行した歌集『イーハトーブ喪失』(沖積舎)一冊を残して今年7月、病死した。野樹は91年に短歌研究新人賞を受賞した広島県在住の歌人

 《女の子だものくじらを従えて泳いだように眠る日もある》 『イーハトーブ喪失』

 アンソロジーで出会った蝦名の歌を、昔から愛唱していた。センチメンタルな口語短歌が、どれも魅力的だった。『クアドラプル プレイ』で久々に新作短歌に出会って、すべて粒ぞろいで一首もはずれがない実力に改めて驚かされた。

 《消えることに一途な虹を追いかけて慣れたもんだよさよならなんて》

 《風を追い風に追われて風となりいまは朝陽に映える帆を押す》 蝦名泰洋『クアドラプル プレイ』

 90年代前半に登場した口語歌人のなかには過小評価されている者が少なくないと思うが、蝦名もその一人だろう。野樹のあとがきには、「短歌を生んでいるのは短歌さんです」という蝦名の言葉が紹介されている。連句への関心が高かった彼は、短歌を自己表現の手段として使うという意識が薄く、コミュニケーションの手段として使いたいという意識が強かったようだ。短詩形文学が持つ「座」は物語文学に対抗しうる強い武器になる。蝦名の独特の短歌観は、改めてもっと注目されてもいいのではないか。(歌人

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蝦名さんの短歌観に注目してもらったことありがたく。そういえば、30年前、はじめてもらった手紙にも、蝦名さん、連句のこと書いていた。人と連句をやりとりしていて、その一連のなかに、野樹の作品を引用したのですが、どうでしょう、というようなことだった(と、最近読み直して、思い出した)。当時の私は、それがなんの話かさっぱりわからなくて、わからないから忘れていたのだ。でも何か返事を書いたら、次の手紙には、

  他人とはこんなに遠いものか、

という嘆息があったから、私、よっぽどとんちんかんな返事したんだろうな。

なつかしいな。

蝦名さんは、短歌を自己表現の手段とは絶対に思ってなかった。むしろ自己表現の手段にすることを拒否することが、短歌さんへの誠実だった。短歌さんを自分の手垢で汚さないように、心を砕いていたような感じがする。どんな意味でも、手段ではなかったけれど、結果としては、私たちの間では、コミュニケーションの全部だった。

ものすごくたくさんのやりとりをしたような気がしているのは、短歌をやりとりしていたからで、実際に会って、何か話したのかしらというと、ものすごく覚束ない。

コミュ障という言葉が昔からあったわけではないんだけれど、コミュ障具合はたぶんとても似ていて、ぎこちないような気楽なような、へんな感じだった。
でも、精神はいつもほの明るかった。だから、楽しかった。

時評、

「短詩形文学が持つ「座」は物語文学に対抗しうる強い武器になる。」

という言葉が、たのもしくて、うれしい。
そういうことを考えたかしら、私たち。現実には、野樹は、次の歌をつけるだけで精一杯だったけど、ああ、でも、心の遠いどこかで、短歌連作とはまた別な形の、物語があらわれるかもしれないことを、感覚していたような、それがとても楽しみだったような、気はする。蝦名さんがいてくれるので。

両吟は、ゆるい歌や駄作が大事なんだよ、と蝦名さんは言っていた。それでも、さすがに駄作すぎると、書き直したい、とか互いにたまにあったけど。

クアドラプル プレイ」最後の10首は、クアドラプル プレイ以降の歌から、私が恣意的に選んだ。で、蝦名さんもう入院していたけど、メールして見てもらったら、
かっこいいのを選ばなくていいんだよ、と蝦名さんは言ったのだ。ぼくたちはもっと、だらしなくやってきたんだし。素朴なのでいこうよ。

(それで、入れられなかった蝦名さんのかっこいい短歌を、でもどっかで、残したいと私はひそかに思っているんだけど。それはそれとして。)

私たちはここまでだった。私たちの「座」の、星ふむような遊びは。

いつまでもだらしなく、遊びつづけていたかったけど。

もうここから先へは行けない。

 

このあとの世界では、どうかしら。誰か試みるかしら。どんな、新しい「座」の文学が生まれるかしら。