iがわからない

数学に、複素数平面とかいう単元があるらしい。聞いたこともないよ。息子が説明してくれようとするが、i=虚数、と出てきた時点で、脳がストップした。無理無理、iはわからない、と言ったとき、いろんなことを思い出した。

私は、愛がわかりませんでした。

わからないから、わからないって言ったのよ、18歳とか19歳のとき。わからない、を、許さなかったでしょう。おまえは変だとか、おかしい、とか、普通じゃないとか、人間じゃないとか、冷たいとか、残酷だとか、欺瞞だとか、男を愚弄してるとか、おまえのせいで、俺たちの人間関係まで壊れた、とか。おまえのせいで。おまえが悪いって。

ということは、私という存在が罪悪かしら、と思いつめた女の子が、かわいそうだ。

わからないって言ってるんだから、わからない、と聞け。ばか。

たまたま見たドラマ、いま、オリンピックで放送日が遅くなってるけど、「恋せぬふたり」が、面白いなと思ってる。アロマンティック、アセクシュアル、の2人を高橋一生くんと岸井ゆきのちゃんが演じているのがいい。女の子の告白に共感しきりだった。はじめて知った言葉でしたが、アロマンティック、アセクシャル。否定のア、が美しいね。

それが、アロマンティック、アセクシャルによるのか、自閉スペクトラムの特性によるのか、性的ハラスメントのトラウマによるのか、判然としないけれど、この歳になると、どれでもいいというか、どうでもいいんだけど、高校生の頃、私、自分が女の子だと、思い出す度に、死にたい気持ちに襲われていたことを思い出した。

制服はまだよかった。真っ黒だったので、喪服と思えたから、死んでいる間は、生きていられる、と安心だった。私服は、何を着ていいかわからなかったし、何を着てもいやだった。父の作業着のお下がりに、綿入れ羽織って過ごしてた記憶がぼんやりある。そのあたりが落ち着いたんだろうな。

性と生活は暴力の温床である、と感じていた。だから、暴力を否定するには、性と生活を否定しなければならず、でもそうすると、私という存在そのものが、存在し得なくなる、この矛盾を、どうすればいいのかさっぱりわからなかった。真面目に葛藤していたのだ。そんなことを。殺されないためには、あらかじめ自分を死んでおくことだ、などと。

ごはんを食べずに、生きられる人に、私はなりたかったです。

レベッカ・ソルニット「私のいない部屋」という本は、私が10代20代のころに、葛藤したことがらが、つらつらと綴られてあって、なんか、自分の日記のような感じがしたんだけど、なるほど、これは、フェミニズムの核心に関わってくるのだ、と、位相がはっきり見えて、こころよかった。

 

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目にとまった記事貼っておく。胸が痛い、他人ごととも思えない要素がたくさん。

羽田空港のトイレで出産直後に女子大生はなぜ乳児を殺めたか

 

そう、この女の子のような地点に、追い詰められてしまうのではないか、という怯えの感覚が、いつも体の裏側に貼りついているようだった。裏側なので、自分では、見ることも剥がすこともできなくて苦しかった。

ソルニットの本は、鏡のように、裏側にあるものをはっきり映してくれる。うれしい本だ。