ガチャ

なんだか長い冬だった。
共通テストのあと、息子は学校に行くのがいやでしょうがなくなった。いろいろ我慢してきたのが、我慢ならなくなった。
学校や教師への不信と失望が、吹き上げてきた。

数学がわかんなくて、でも避けて通れないから、格闘してきた彼は、とうとうわかった。先生の教えかた、授業の進めかた、スモールステップが足りないんだ。できる人は楽しい授業だったかもしれないけど、そうじゃないみんなはつらかった。無駄に難しい大量の宿題で何かさせた気になって。疲労させて。自信なくさせて。
いろいろと、過酷な空中戦を強いられてた感じらしい。これまで、まちがったところに頭を使っていたようだ、とか。スモールステップが足りないんだ。そのことに今になって気づくなんて。

中学3年間はとてもよかった、暖かな空気感があった。高校3年間は、空虚。と総括してたが。

地元大学の推薦落ちたときは、これでこころおきなく、この土地を出ていけることになって、それはそれで、よかったのだが、やはり我慢していた怒りが吹き上げてきた。

夏ごろに、志望理由書を、推薦受ける人たちみんなの前で、読みあげさせられて、あるガチャ教師に、「中身がない、信じられないほど薄っぺらい」とこきおろされたあげくに、あとで、作文の参考に渡されたガチャの作文が、これこそ、信じられないほど中身のない話で、わけがわからなくなったりしてたんだが、
相手にするな、と私は言ったのに、

おまえにぼくの何がわかる、と悔しがってたけど、

あのガチャたちを黙らせないと、推薦だしてもらえないと思った息子は、
心身すり減らして、あれこれ知らべあげて、書いたり書き直したり、誰も、何も言えないようなものを書いた、

落ちてもいいから、書ききる決意だったらしく、ああ、ずいぶん遠くまで行ってしまった。ほんとに遠い。

それはそれで、彼のたたかいかた、だったのだが、
ぼくは何を相手にたたかっていたんだろうなあ、と言うのであった。

ガチャのことは本当にきらいだ。軽はずみで、お調子者で、生徒に何かえらそうに言えるのがうれしかっただけなんだ。自分こそ中身がなくて、わからないから一緒に考えよう、という姿勢ならまだいいのに、上から目線で、人格否定の言葉を投げつけてきたのがゆるせない。

ガチャは、自分が生徒をどれだけ傷つけたかなんて、絶対わかってないし、たぶん、何か喋ったことも忘れてると思う。息子、最後の最後に、ガチャの授業をボイコットしてたが、きっと誰もそれに気づいていない。

ところが。
このガチャ先生が、一部の生徒たちには人気があるらしいのだった。

 

ガチャで思い出したのだが、6年前、小学6年の夏休みに、宇和島に帰省したとき、木屋旅館の見学に行った。犬養毅司馬遼太郎も泊まった老舗旅館は、むかし、父の仕事のお得意さんだった。廃業したのを、市がリニューアルオープンさせていたので、行ってみたら、そこに、大竹伸朗さんのアートのガチャがあった。ガラガラポン
で、息子、象さんの🐘ガチャをゲットした。それは子どもたちに一番人気のガチャらしく、マネージャーの奥さんが、よかったね、と声をかけてくれたのだが、息子、なんとも言えず、悲しそうな顔をした。彼は、女神の自由🗽のガチャがほしかったのである。
すると、ポーランド人のマネージャーさんが、娘さんが当てたけど欲しがらなかった🗽と、息子の🐘を交換してくれて、息子はとても喜んだ。
あのガチャ、どこにいったかな。
誰かにとってのハズレガチャが、別の誰かにとっては当たりガチャかもしれないし。ハズレガチャが、一周まわって、当たりガチャになるかもしれないし。
そんなもんよ。きみはたくさんのことを学んだ。

学校の先生って、学校の先生しかやってないから、ほかのことはわからない。でも、わかったふりしてもの言う。「こんなぼくでさえ、駄目だと思うんだから、大学の先生たちは、もっと駄目だと言うと思うよ」というガチャの言い方もまた、卑怯だと思う。
学校や教師たちの内なる権威主義に、傷つけられたんだけど、傷ついた子しか、わからないだろうな、そんなこと。ガチャたちは絶対にわからない。
悪意があるわけでもないと思うけど、ただ、ある限界を、私の子は、見たのだと思う。

で、たぶん、何かを踏み抜いた。
★★
 
一生を生きてしまったくらい、疲れた、と18歳の子が言う。そんなこと、言わせたくなかったな。心の疲れはなかなか回復しない。
25歳でこんなに歳とってしまって、30歳になったらどうなってしまうんだろう、とパパは思ったし、私は30歳のときに、人生は終わっているのに、なぜまだ私は生きているんだろう、と思った。
 
自閉スペクトラムの過集中あるあると思うんだけど、どれだけ走ったら、目的地に、世間とか、みんなのところに追いつけるのだろうと、走って走って、倒れてたどり着いたら、誰もいない砂漠だった、みたいな。世間はもっと後ろに、何も考えずに、ぼんやり存在していて、自分だけが、満身創痍で捨てられている。
隣り町に行こうとしたはずが、海まで出てしまった、みたいな。

 

でも、一度そこをくぐると、世界というものの見え方が変わる。訳わからなかった世界に、地図があらわれる。なんだ、こんなもんだったのか、という失望もあるけれど、どの世界とどうつきあえばいいかがわかるようになる。

 
きっと、これから生きやすくなるし、楽しくなるよ。
 

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