春の別れ

先月末、受験に行ったのが、ほぼ1年ぶりの旅。九州新幹線にはじめて乗った。いつも青春18きっぷだったので。
この街に住みたい、と着いてまもなく息子が言った。はじめてなのに安心する。街の空気感がいい。ぼくみたいなのでもいていいかなと感じさせてくれる。
家を出るときには、庭に雪が残っていたのに、こちらは桜草が咲いている。フェニックス見たら、それだけでほっとする。私も南の生まれなので。

受験終えて、温泉行って、菜の花見て帰る。受験の手応えは、微妙、びみょい、らしいよ。ものすごくびみょい、たぶん面接次第。待ってるのがいやだな。
教科書入れた重たい荷物を背負ったままで、電車の写真撮ったりして、試験終わって遊びに行った町で、お風呂屋の番頭さんとお喋りして、「なんか、人間扱いしてもらえてうれしい」と言っていた。早朝、私がまだ民宿で寝てる間に、列車撮りに行ってた。

どれだけ、つらかったんだろう。家と学校の往復だけの1年間。

息子のラインには、日本各地に受験に行ってる同級生から、日本各地の駅や列車の写真がぞくぞく届いていた。

もう広島に帰りたくないと言いながら、帰った翌日、卒業式の予行で、予行は、担任の懺悔だったそうでした。先生向いてないかも、って悩んだそうなんですけどね。

その翌日が卒業式。雨の卒業式で、6年前の小学校の卒業式も雨だったなと思い出したりしたんだけど、コロナだし、卒業生と教師と親だけの、なんかしんみりした式でした。
PTA会長が、挨拶の途中で、共通テストの話のところで、ひとりの母親にもどって泣き出してしまって、すると、父兄席は、あっちもこっちもすすり泣きで、親もどんだけつらかったか、というのが偲ばれた。
それぞれのクラスの子たちが、それぞれの担任への、感謝を叫んで、式は終わり。

そのあと、最後のホームルームで、生徒たちひとりずつ、クラスメイトたちと親への感謝を述べていたのだが、ここでは子どもたちが、すすり泣き。うちの子は拍子抜けするほど冷静で、口数少ないので、おいといて、
子どもたち、みんな大変だったんだなあと、感慨深かったです。泣いて、言葉が出ない男子いたし、去年、病んで不登校になってた子が元気になってて、文化祭のライブでトリを飾れたのは、うれしかったと言ってたり(それはピアノ担当の息子にとっても、この1年、唯一楽しい出来事だった)、また別の男子が、生まれて来なければよかったと思いつめて苦しかったとか、女子たちも、成績が伸びなくて苦しかったとか、おかあさんと喧嘩したとか、共通テストのあと学校に行くのがこわかったとか、みんな泣いてて、えー、そんなにつらかったですか、とせつなくなったな。
洪水ちゃんは、やはり洪水ちゃんで、泣きながら、喋りたおしてた。「大人になんかなりたくなくて、もう死にたいと思って、何度もそう思って、でも、みんなの話を聞いて、未来にゆく勇気をもらった。私は失敗ばかりで、いつもいつも失敗ばかりなのに、みんなはやさしくて、ゆるしてくれて、友だちだって言ってくれた子もいて、うわーん、うわーん」みたいな。
洪水ちゃんは表現は過激なんだけど、中身は素直な子だから、だいたいみんなが思ってることとか、思ってても言わないことをだだ洩れさせるので、またあちこちすすり泣き。そうよ、大人になんかなりたくなかったよ。
息子は、洪水ちゃんのことは、同族嫌悪で、あの子がなんか失敗すると、ぼくが、ごめんなさいという気持ちになる、のでかんべんしてほしいらしいのだが。あの子は、受験の面接、大丈夫なんだろうかと心配してたが、それって、全然他人事じゃないから。

家に帰ってから、「このコミュニティが、ここで終わるというのは、感慨がありますね」と、なんか冷静につぶやいていた。いやでもどうでも、季節は巡るよね。
学校と別れる。
来月は、もしかしたら、この家を出て行く。

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