SO HERE I AM


『だから私はここにいる   SO HERE I AM』

という本は、とてもよかった。エリザベス1世のほかは、だいたい19世紀から現代までの、女性のスピーチ集。1830年代に女性の権利を求める運動が西欧ではじまってから、女性が演壇に立つようになった、らしい。それまでは、記録がないのだ。奴隷解放公民権、女性の参政権先住民族の権利、から、現代の環境問題、核の問題まで。政治家、社会運動家のスピーチも多いが、マクリントックのような科学者、ヴァージニア・ウルフ、トニ・モリスン、ル・グゥインら作家のスピーチも。
近現代の人権闘争史がみえてくる感じがした。フェミニズム運動とひとつながりに。人類がいまどんな問題に直面しているかも。

世界史の副読本にもしたいほどだけれど、全ページカラーなのは、読むのが大変だった。おそらく、私の視覚過敏のせいで。
過剰なデザインや、色彩は、言葉を理解する妨げになる。情報量が多すぎて。
文字を鉛筆で押さえながらでないと、読めない。少し、学習障害の感覚かも。

で、一度に読めないので、少しずつ読んでいた。日に数ページ。面白いので、読みづらいのも少し我慢して、読んだ。しばらく、傍らにこの本があった。

 

歴史は、前にも後ろにもすすむらしい。終わった戦争がまたはじまるし、与えられた権利がまた奪われる。アフガニスタンで女子はまた学校から追放された。アメリカで中絶禁止って、なんの冗談かと思ったけど。
私、子どものころ、21世紀には、なんだかとてもよい未来がくるように思ってた。ベルリンの壁が壊れたのは、その予兆、のはずだった。戦争はすっかり過去のことになってるはずで、まさか未来にあらわれるなんて思わなかったけど、21世紀になってわかったのは、過去は未来かもしれないってこと。

空襲の話は何度も聞いたことがあった。一晩じゅう(と幼い子どもには思われた)逃げてきた町のほうに焼夷弾が光るのを、見ていた、とか。その光の凄かったことを、ほんの数年前に聞いたんだけれど、私は、どうやら白黒画面で、想像していたらしい、焼夷弾の光のこと。

ロシアがウクライナの街に落とした焼夷弾の映像の、花火のような、花火どころでない、色彩に仰天したのだった。
過去の戦争だって、白黒ではなかったのだが。いや、わかっているはずなのに、白黒画面で記憶しようとするのは、子どものころの信仰を守りたかったからだろうか。過去は白黒、なのだ。幼い頃の写真が白黒であったように。焼夷弾なんて、絶対に白黒でなければならないはずなのに、と。

 

すこし前の、パアラランの話。現地の、フィリピンの貧困地域だけれど、最近の暮らしはどうってきいたら、仕事なくて大変、とか。ちょうど大統領選前で、政治家たちが配るお金で生活している、とか。親たちには、お金は必要だからもらっていいけど、だからといって、票をあげる必要はなくて、投票は、子どもたちの未来を考えて決めるようにね、と、生前レティ先生はアドバイスしていたし、私たちもそうしている、という話。

お金はもらっていいけど、っていうのが、すごい現実主義。

 

この春に家を出てひとり暮らしをはじめた18歳たちは、今度の選挙、投票めんどくさいんじゃないだろうか。公示三か月前以降の引っ越しなので、不在者投票の手続きが。送付された紙に必要事項を記入して、以前に住んでいたところの役所に封書で送らなければいけない。そのあと、折り返し、不在者投票ができる封書が送られてくるらしい。

息子、この前の最初の選挙が、選挙翌日が誕生日だったから、期日前ができなくて不在者投票で、二回つづけて不在者っていう、なかなかレアな体験をするみたいだけど、
手続きの何がたいへんって、封筒がない、とか、切手がない、とか、郵便局遠い、とか、暑い、しんどい、めんどくさい。
考えてみればよ、18歳、郵便局で切手を買う、なんて、したことがないと思う。
したことがないことは、どんな簡単なことも、難しいのだ。なので、するべし。

それで言ってみた。黒人の公民権も女性の参政権も、選挙権って、人類史において、闘ってやっと勝ち得た権利、しかも、戦争になったら使えない、平和な一部の地域でしか行使できない、尊い権利、きみの権利じゃなくて、人類の権利なのだから、おろそかに考えない。などと。

息子、郵便局まで切手を買いに行ったらしい。またひとつ、レベルがあがった。
手続きが間に合うかどうかは知らんけど。

夜、玄関灯つけたら、巣から出て来て飛ぶ練習するイワツバメの子たち。もうすぐ出ていくね。