エル・フィリブステリスモ

鹿児島の息子のところに、運んでやらなければならない荷物があって、電子ピアノの足、在庫がないので工場から届くのを待っててっていうのが、工場は上海で、コロナでロックダウンで、2か月も待ってたのが、届いたので、そのほかのものとあわせて、運ぶことにした。私が、4月から左肩痛いのが、全然なおんなくて痛いままで、湯治したい、という気持ちもあって。

6日の夕方、アパートに着くと、部屋じゅうに洗濯もの干してある。たぶん、親たちくるというので、頑張って洗濯したんだろうが、これはたぶん、洗濯槽に洗濯もの入れ過ぎた、それから洗剤少なすぎた、なんか、くさい。
洗濯しなおしたりアイロンかけたり。
2か月ぶりの息子は、それでも思ったよりしっかりしていて、ひとまず安心した。(そのあと不安事項が次々あらわれてはくるのだが)

翌日の午後、講義のおわった息子と待ち合わせて、市役所、それから、船にのって桜島。温泉に入って帰る。帰り道の夕焼けきれいだった。

その翌日、息子は大学なので、私とパパと、指宿までドライブ。砂蒸し温泉に行こうと思ったら、あいにくメンテナンスのため休業、というので、町営温泉に行った。受験のあとに息子と行ったところ。
そのお風呂屋さんで、安倍晋三元首相が、倒れたというニュースを見る。どうやら撃たれたらしい。何がなんだかよくわからないけれど、とにかくお風呂。
それからご飯食べて帰る途中の海が、ふと晴れ間がひろがって、青くてきれいだった。
夕方、息子と待ち合わせて、中央駅の観覧車に乗る。ナポリ通りがあって、向こうの桜島が雲かかっていて、観覧車どれくらいぶりかしら、まだ小学生だった子と下関で乗ったっけ。

 

奄美の文化とか、教養科目がオンデマンドだったので、夜、息子と一緒に見た。
宇和島の闘牛に奄美の牛が来てたよ、そういえば。牛が入場するときの鳴り物が、ときどき南国っぽかったのは奄美の牛だったんだ。二升五合という牛が優勝したときに、息子小学生だったけど、優勝牛と一緒に写真とってる。あの二升五合が、奄美の牛だった。白黒パンダ顔だったよね、みたいなことを思い出した。奄美、行ってみたいね。

夜、雨だけど、朝には晴れた。じゃあ帰るよ、と帰路についたはいいが、高速が、昨夜の雨で土砂崩れで、通行止め渋滞、さらに、追突事故も発生したらしく、パトカー救急車消防車何台も走っていったが、私たちは走れない。もういい、高速降りて、一般道で帰ろう、別府で泊まって明日帰ろう、と、ようやく高速おりたころに通行止め解除って、いやんなる。
で、下の道走る。山のなか、田んぼのなか、あちこち道壊れて工事中一方通行、ここどこ、みたいなところを。遠いいねえ。

息子が中学のときと高校のときと2度、九州の旅をした。パパは2度とも留守番だったから、阿蘇も、駅のあたりだけだったけど、子どもと一緒に行ったところを、ここに来たんだよと、言いながら、パパの車で走ったのは、なんか私が心残りがなくなる感じでよかった。

夕暮れの九重高原は、息子は来ていない。たぶん、30年以上前に、私、友だちに連れてきてもらったかな。九州広いね。

別府泊。また温泉。
翌日、下の道をまた、えんえんとえんえんと走って、海峡渡って、えんえんと走って、帰りついたら夕方。

 

銃撃は、統一教会への恨みだという。私は少し前に、フィリピンの学校支援のボランティアに関心があって、という、国際的な平和団体とかから、電話とメールもらっていたのが怪しくて、これ、裏に宗教あるな、と思って、統一教会をまず疑ってみたりしていたところだったから、驚いた。
うちに連絡してきたのは、韓国の、統一教会とは別のキリスト教系の某異端団体。宗教とは名乗らず、国連にも認められている平和団体、とかを名乗って、アジアの教育関係のボランティアグループとかに、触手を伸ばしているようなので、要注意。ズームしましようとか、ビデオを見てくださいとか。

現場では、キリスト教系仏教系共産系、いろんな思想宗教の人たちが協働しているので、宗教者、宗教団体がボランティアする、平和活動するというのは、むしろあたりまえなんですけど、特定の宗教団体の拡大のために、ボランティアを利用するというのは、ベクトルが逆。近づいてほしくない。

各宗教、各宗派、各教会の平和活動はいいのです。宗教団体であることを隠しているところは、絶対に要警戒、と思う。


学生のころ、統一教会の女の子が、しばらく私の下宿に出入りしていたことを、思い出した。いつも、お弁当作ってきてくれて、私は遠慮なく食べた。どうして入信したのって聞いたら、家庭が不安定だったのかな、さびしくて、死にたかったときに、救われたって。
彼女らの拠点に行ったことある。女の人たち何人もに取り囲まれて、話を聞くのに、悪魔、サタンの話がどうしても納得いかなくて、話が平行線だわぐるぐる回るわ、の何時間だろう、お菓子出してくれるのを、私は食べて、空っぽになったらまた出してくれて、また空っぽでまた出してくれて、食べた。

そのあとも、女の子、しばらくお弁当もってきてくれたけど。一度お風呂やさんで会ったとき、背中洗ってくれた。
あの子、どうしているだろう。幸せでいてくれたらいいなと思う。

また別の女の子。90年代に、ボランティアでウルグアイへ行ったのだと聞いていた。ほんの2年前ぐらいにわかったんだけど、統一教会に入信して、「神の国」をつくるためにウルグアイへ渡ったのだった。進学を、県外は駄目だと言われて県内にとどまった子が、どうして地球の裏側まで、と思ったけど、ああ、神の国のためだったのか、と腑に落ちた。統一教会が名前を変えたらしいことも、調べていてわかった。
ウルグアイで家族をつくって、老父母も呼び寄せた。親たちはもう、そこで死ぬ覚悟でしょう。私はその親たちにお世話になったんだけど、もう生きて会えないけど、連絡もしないけど、どうか幸せに。

ホセ・リサールの小説「ノリ・メ・タンヘレ」「エル・フィリブステリスモ」を思い出した。スペイン統治下のフィリピンで、聖職者や聖職者と結びついた政府の、収奪と横暴に傷つき苦しみ抜いた青年クリソストモ・イバラが、政府高官へのテロを企てる……物語は青年の悲劇で終わるんだけど。テロでは解決しないのだとホセ・リサールは書いたんだけれども。読み返したいけど、古い本、文字が小さいからつらい。復刊しないかな。凄い小説だから。

いまこの国で起きた事件も、戦慄するけど。

いろいろと心ざわつかせる。