赤松はひとつのこらず鏡ゆゑ出口のあらぬ赤松林  渡辺松男「牧野植物園」

歌集最初の一首から、たまんないな、と、こころよくくらくらさせられながら、読み終えた。蝦名泰洋さんが、渡辺さんの短歌を好きだって言ってた。たしかに好きだと思う。短歌の話、歌人の話を、私たちはほとんどしなかった、そのなかの数少ない短歌の話題に。
短歌の話はしないし、じゃあ、日常の世間話したかというと、それもしなかった。短歌だけが行き来してたけど、その短歌について、あれこれ言い合うことも、なかった。短歌が、私たちのかわりに会話していたから、たぶんそれでよかったんだろう。

死ぬことって、鏡のなかに入っていくようなことかもしれないなと、蝦名さんが亡くなるころに、ひとしきり思ったりしたことを思い出した。

もうメールしないって、最後のメールをもらったのが、1年前の今日でした。じゃあ、またねって、最後の返事をしたあとに、「メールをする夢を見ますよたまに」
と返ってきたのは、すこし前に、空メールが届いたと告げたことへの返信みたいだった。
スマホが手のなかでふるえたのを、思い出した。


なんかへんなとこが似ていて、電話をするのが苦手とか、写真撮られるのがきらいとか、相手が話さないことはあえて聞かない、とか。ふたりともがそんなふうで、どうやって会話してたか、何を話していたか、よくわからない。

自分の話って、まだみぬ未来の話もできないから、過去の話になるけど、過去の話っていやよ、そこに自分がいるから。バイトをクビになったとか、人間関係がむずかしいとか、何か失敗したとか、どこにいても正しく存在できなかったという感じとか、そういうことは、なんかもう互いに、似たような経験をしてきたかもねと、わかってしまうところがあって、鏡に映る自分を見るような、見させるような恥ずかしさがあって、聞かなかったし話さなかった。

恥ずかしかったよね、生きてしまってることがすでに。誰でもできそうなことが、なぜか無理だったし。けれども、心に詩があるってことは、それ自体しあわせなことだから、蝦名さんは不遇だったけど、不幸だったとは全然思わないんだけれど。

私はさびしいし、つまんない。ずっと、あとをついて歩いていたかった。

メモが出てきた。夢の話がふたつ。

1月に、夢を見た。大学の講義室のような広い部屋に、蝦名さんとふたりでいて、蝦名さんは白い毛布にくるまれていて、こんなに痩せたんだ、と腕のあたりを触って思った。天井が夜空で、凄い星で、あんまり凄い星だから、ね、これ本当の空かな、プラネタリウムなんじゃないかな、と言ったら、同じことだよ、本当の空でもプラネタリウムでも、って言った。ああ夢だから、と思って目が覚めた。

6月にまた夢を見た。八百屋さんで私は働きはじめた。蝦名さんが先輩店員だった。大根と一緒に、なぜか銃を売ることになり、カラシニコフみたいな銃だけど、それを大根の横に一緒に並べながら、こんなもの売ったら、戦争になるんじゃないかしらと私が言ったら、なるんだろうね、と蝦名さんが言った。

蝦名さんの遺歌集を出したいと思って、クラウドファンディングもしよう、と思っていたのに、7月が近づいてきたら、だんだん悲しくなって、いま歌稿に触れる勇気がない。でも、本つくらないと、私が、出口を見つけられない。赤松林の赤松のように、蝦名さんの歌たちがあって。

 

クアドラプル プレイ」の書評。歌誌「井泉」104号に江村彩さんが。心に沁みました。ありがとうございます。