合歓眠る

合歓眠る どこの国にも属さない言葉でだれかグッドバイしてる  
         蝦名泰洋「イーハトーブ喪失」

畑の、合歓の花が咲いて、ああ梅雨が来たな、と思っていたら、もう梅雨明けだっていう。え、まだ気持ちが追いついてゆきませんが。

鹿が、たぶん夜中に道を走っているだろうと思う。雨の夜とか。門の外に百合の花が育っていたのを食べていた。毎年1輪だけ咲くやつが。お隣の畑はまた荒らされた。

夜中に、玄関灯を点けたら、イワツバメの巣から、子どもたち二羽出てきて、たちまち飛ぶ練習するのが、楽しい。巣立ち、近いかな。玄関先にフンがぼたぼた落ちているんだけれども。うるさく言う人もいないので、片付け、適当。

4月の半ばころから左肩がぼんやり痛かったのが、はっきり痛くなり、腕あがらないし、うっかり動かすと痛いし、なんにもしなくても疲れる、という感じなもんだから、なんにもしない。ひたすらだらだらしている。家のなか片付けて、息子が帰省したら驚かせよう、とか、もう考えません。

それでも、伸びすぎて隣の敷地に出てしまいそうな木の枝は切ったし、鹿よけの網は張りなおしたし、実ってきたブルーベリーに鳥よけの網もかけた。柿の葉、桑の葉、干してお茶にしたし、ドクダミは酒にした。

季節は巡ってゆく。衣替えもしてないけど。

しばらく前、だけれど、東京の、ひとまわり上の世代の知人から電話がきて、「もう長くないと思います、病院から連れて帰った」と言った。難病の息子さんの話。それから、「私も今年もたないかもしれない」と言った。心臓に持病があるので。
「こんなふうに死が近づいてきてみて、死ぬということに対する考え方が変わりましたね」となんだかストレートに言ってくれるので、どんなふうにですか、ときくと、「以前は、死んだら、ただ、何もなくなる、とだけ思っていたんですが、いまはそうじゃないなと、家族のこともふくめて思います」と言うので、じゃあ、その話を聞かせてください。私にその話を聞かせてくれるまでは、生きててくださいね、と言った。
電話、一度話しはじめると、長くなって、いつまでも話しやまない人だったのに、短く終わった。
もう四半世紀になるのかな。パアラランのこと、ずっと気にかけてもらっていた。新宿のジャズ喫茶に連れて行ってもらったことがあった。昔はもっとたくさんあったんだけれど、と。
たまんないな。

死ぬんですけど。いつかみんな。

もう10年近くになるのかも。東京にいたころ、一時期一緒に暮らしたお姉さんから、「死ぬ前に会いに来なさいよ、私もう酸素につながれてるんだから」って、電話がかかってきた。小児麻痺と膠原病を抱えていた。声は昔と同じように勢いがあったし、大丈夫と、思っていたかったかな、何を話せばいいかわからないし、話せば叱られそうだし、訪ねて行きそびれているうちに、亡くなってしまった。

それは、たぶん、宿題が解けなくて提出できない、という気持ちに似ていたかしらと思う。死にゆくひとの傍らに、どんなふうに存在すればいいかが、わからない、存在していいかどうかが、まず不安、という。

いまになって、ややわかるのだが、ほんのゆきずりのなりゆきの出会いと、いくらかは葛藤もあった共同生活だったけど、あ、また怒らせた、とか。でも、不思議に正しく理解してくれていたし、自分の言葉をもってた。猫たちと暮らしていた。同じ空を見ていた感じがある。

面倒かけたかしらという後ろめたさに、気後れしたんだけど、私が、ひとまわり年上の彼女にかけてもらったのは、愛情、だったんだろうな。
などと、いまさら。

なんで生きてるときに気づかなかったかな、などと。会いに行ければよかったな。お姉さんは、死んでもしあわせにしかなりません、ぐらい言いたかったわ。