グラスノスチ

8月の終わり、ゴルバチョフ氏が亡くなった。ソ連邦の最後の指導者の。生きてることも忘れていたけれど。ウクライナ侵攻のあとに、テレビで見た。即時停戦を語っていた。

1991年だった。蝦名さんの「モスクワの羊飼い1980」(のちに歌集「イーハトーブ喪失」に収録)の一連の草稿を読ませてもらったのは。

  極月の大使みずから運びくる林檎茶澄めり琥珀に澄めり  蝦名泰洋

の歌は、関係ないかもしれないんだけど、ゴルバチョフ氏の初来日のことを思い出す。いい人の気がするよ、と蝦名さんが言っていたからかな。シベリア抑留者の名簿をもってきたからかもしれない。
私が、「モスクワの羊飼い」読んで、どきどきしていたことと、ゴルバチョフ氏の来日は、なんとなく響き合って、明るい陽射しがさしこんできた感じだった。

「モスクワの羊飼い」には、

  盲いしゆえ指もてたどる墓碑銘にわれの名もあるチェルノブィリ祉 

という歌も。

 

  爪たてて窓の氷をかき寄せるグラスノスチも死語となる朝

              蝦名泰洋「マテウスの始発駅」

この歌が載った同人誌を見たのは1994年だった。まだ、グラスノスチは死語ではなかったと思うし、死語になってほしくないと思っていたけど。死語になって久しい気のするいま。ああ、そんな言葉もあったなあと、思うなんてね。一連は、ベルリンの壁崩壊にも触れていて、

  初めての東ベルリンやさしければ憎まれる子よ雨が冷たい

  おとうとは壁と一緒に消えてったとてもやさしいおとうとだった

そのころの、時代の、というよりは私の、途方にくれてた感じとか、思い出して今さらに胸が痛いのでしたが。

  戦争が始まるらしい 食堂で一マルク差のランチに迷う

ほんとうに、戦争は始まってしまって、まだ終わらない。


あのころ、グラスノスチは、眩しい言葉だった。やっと嘘が剥がれて、これからは信頼できる世界になっていくんじゃないか、とか。一瞬の、贅沢な夢だったかな。

あとはもう、生活に追いつめられて、追いつめられてばかりで。いつか死ぬんだけど。


あたらしい時代のグラスノスチもあるかしら。
たまにツイッターなど見ていると、私が、身近な人たちを傷つけたくなくて、しょうがない、黙っておいてやろうと思ってきたようなあれこれが、匿名性にたすけられて、言葉にされていて、驚いたり、なんかほっとしたり、笑いたくなったり、する。心配になったり、うんざりしたり、もする。たのもしい感じもする。

苦く苦く、悔しく悔しいたくさんのこと。

 

あじさいが枯れたの、そのままにしていたんだけど、通路をふさぐので、刈った。枯れてるけど、なんだかきれいだ。