学校がきらい

昨日、参観日。
行ったら、Aくんのお母さんに声をかけられて、振り向くともう泣いている。1学期、子どもはAくんによく叩かれていたんだけど、それは席替えしてもらっておさまっていたんだけど、最近また席が近くなって、叩かれないけど、あれこれと、ハンカチを取り上げて返してくれないとか、3度ほど泣いたり泣きそうなことがつづいて、「Aくんはぼくのことがきらいになっちゃったんだ」と子どもが言うので、というか、学校の話をほとんど何にもしない子が、連絡帳に書いて、と言うので、連絡帳に書いたら、先生がお母さんにも言ったんだな。
子ども同士は「ごめんね」「いいよ」で終わったらしいんだが、(終わったのか?)
泣いてあやまってくれるお母さんなら、子どもにも希望がある。嫌いだったりいじめようと思ったわけじゃなくて、いたずら心が度が過ぎてるんだろうが、受け止められなくて、連絡帳に書いて、だったんだろう。

子ども、いたって朗らかである。学校も楽しそうに行って帰る。不思議なのは、学校の話を家でほとんどしないことだ。こちらが聞くと、何か話してくれるが、クラスメートの名前は決して言わない。出席番号で言う。とくに好きな子もいないが、きらいな子もいない。相当さばさばしている。

なぜ番号なのか。子どもが言うことを整理すると、クラスメートの名前は、学校に付属しているのであって、だから、学校以外の場所でそれを口にするのは、「恥ずかしい」のである。例外的に名前で言う子が2人ほどはいて、それは近所の子。名前組にもうひとり加わったのがAくん、という次第。
同じ理由で、音楽教室の話を学校ですることはない。たとえば、コンクールで銅賞とったことを、お話ノートに書こうか、って言ったら、それはぜったいにいや、というのだ。

さて参観日。
鍵盤ハーモニカをぶーかぶーか、吹いていた。みんなが一緒に吹くときはいいのだが、個人個人で練習するときは、耳の過敏のせいで、さすがにつらい。横にいた私に「ママ、耳栓とってきて」というが、後のロッカーのランドセルまで人をかきわけていかなきゃいけない。耳栓、これから引き出しのお道具箱に入れときなさい。
参観日のあと、懇談会。なんと、たった6人の父兄しか残っていない。PTAの役員だからしょうがないな、と思うけど、そうでなかったら私も帰ってるかもな。

顔を洗わずに学校に来ている子もいるし、言葉づかいもわるいし、いらないものを学校にもってくるし、算数は引き算でつまずいているし、文字は、一学期にあんなに練習したのに、はやくも、きたなくみだれだしているし、偏食が多いし、給食をあまり食べないし。
というようなことでした。クラスの傾向はね。

さて、うちの子どもは給食のとき、大泣きしたそうです。理由を聞いても、それが言えないくらい大泣き。やっと泣きやんだので、理由をきこうとしたら、うん、もういいんだ、って、いうので、理由はわからないままです。

と先生にきいたので、帰って子どもに聞いてみたら、給食の牛乳に、大当たり、当たり、はずれ、とかあるらしい。たぶん、パックの印刷の模様とかで決めるのかな、その大当たりが、自分のところに来たのを、隣の女の子のと勝手に交換したんだ、と班の子たちに言われたらしいんだな。でも、ぼくはそんなことしてない。で、びえええええええええええええん。だったのだ。

まあ、よく泣く子どもではある。

「おんなじ牛乳だろ、なのにそれをさ、当たりとか、はずれとか、いうのは、牛さんにものすごく失礼な話じゃないか。」
ってパパが言ったら、
「うん、そうだよね」って、子ども、たいへんはればれした顔になってましたが、えっ、そういう話か。
まあ、そういう話だ。

いまのところ、なんとかやってる。いたって朗らかに過ごしている。朝、通学班が一緒のTくんとよく遊んでいる。仲良しですよね、と先生が言う。一学期は、Tくんをこわがっていた。朝会う度に、いのししのように突進してくるからである。どうやらそれは愛情によるものらしいと、わかってきたんだな。

「学校がきらい」と言うのは、子どもではなくて、パパ。
小学校中学校いじめられてきたせいで、行きたくない。このトラウマは根深いぞ。なのに町内会長は、学校関連の用事を全部まわしてくるから(きっと町内会長も学校きらいなんだ)、しじゅう行かなきゃいけない。もし、りくがいじめられたら、日本の学校なんかに通わせない、と言う。朝鮮学校に行かせよう。
あ、それなら、こないだ校長先生に頼んでおいたから。

おんなじ高校生だろ。それを無償化除外するとか、しないとか、またするとか、彼ら自身には何の関わりもない問題だろう、ほんとうに失礼なこの国の政府だ。